シックで艶やかな萩焼の世界『萩陶芸美術館・吉賀大眉記念館』(萩市)

山口県

約400年の歴史をもつ「萩焼」。文化功労者である陶芸家・吉賀大眉(よしがたいび)の作品を中心に、多数の萩焼を展示しているのが萩陶芸美術館。作品はもちろんのこと、その歴史や原材料についても知ることができるミュージアムです。

訪問日:2026/5/5(火) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

萩焼専門の美術館

萩反射炉の近くに静かに佇むのは萩陶芸美術館。江戸時代よりこの地で焼かれてきた「萩焼」を多数扱う美術館です。

基本設計は大眉と親交のあった中村昌生。壁一面に貼られている陶板は、大眉窯元の弟子たちが制作したものであるそう。

作品の展示に加えて、萩焼の販売や陶芸体験・絵付け体験も行なっております。なお、開館日は金土日限定なので、ご注意ください。

中世から続く歴史

ところで、萩焼ってどんな焼き物なのでしょうか?

ときは戦国時代の末期、豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われると、出陣した大名たちは朝鮮より陶工を連れ帰り、競うようにその技術を得ようとしました。

萩焼も朝鮮より連れ帰られた朝鮮人陶工・李勺光によって誕生した焼き物。李勺光は秀吉から毛利輝元に預けられ、関ヶ原の戦いによる毛利家の減封とともに萩へ。当初は城下にて茶道具用の陶器を造っていたのが萩焼のはじまりといわれています。後に弟の李敬を朝鮮から招き、「山村家(坂倉家)」「坂家」とそれぞれ異なる流派を開いていきます。

柔らかな色合いや、使い続けるうちに「貫入」(器の表面の細かなひび)からお茶や水分が染み込み色や風合いが変化していくという「萩の七化け」といった特徴のある焼き物。「一楽二萩三唐津」と称され、京都の楽焼や佐賀の唐津焼とともに茶人に愛されてきました。

芸術作品へ昇華

2階に進むと、すらりと並ぶ吉賀大眉(よしがたいび)の作品。大正4年(1915年)生まれの陶芸家であり、伝統的な萩焼の新たな可能性に挑んだ人物です。

東京美術学校(現:東京藝術大学)にて美術を学んだ大眉は、帰郷後萩焼の作成に専念。当時、工芸品・商業製品であった萩焼を美術展に多数出展し、芸術の域に高めたのです。

白やグレーの艶やかな作品たち。鏡が設置されている箇所もあり、下からも見られるようになっています。

シックなデザインが多いなかで際立つ《陶花器「線と角による構成」》。現代アートでみかける「コンポジション」を感じますね。

床の間に置かれた作品もあります。

中央に置かれているのは《彩雲》。日本現代工芸美術展に遺作として出品されたものです。

原材料となる大道土

受付のそばの古陶磁展示室では、初期の萩焼が多数展示されています。享保年間に大道土が使用される前、小畑土が使用されていた萩焼、または江戸までのものを「古萩」と呼ぶそう。

ちょっとユニークなのが原材料展示室。大道土、小畑土、陶石の原石、アルミナ、ミョウバンなど、萩焼に使用される原材料が展示されています。焼き物系の美術館・博物館は数あれど、原材料の展示はけっこうレアです!

先ほどからちらちらと名前が出ている「大道土」こそが江戸時代以降の萩焼の特徴のひとつ。山口県防府市大道~山口市鋳銭司四辻の一帯で採掘される、砂礫が多く焼き締まりが少ない土なのです。

保存された登り窯

敷地内には登り窯も設置されています。斜面に連なる連続した窯であり、萩にある登り窯では最大とのことです。

まず、一番下の「大口」と呼ばれる窯で17~18時間ほど火を焚き全体の温度を高めます。次に、2番目、3番目と順番に窯を焚いていき、最上部の窯まで48時間ほど休みなく焚き続けるそう。熱と炎が煙突効果で上に移っていくため、効率よく大量の焼き物を焼成することができるのです。

この登り窯は大正時代中期に造られ、平成3年まで使用されてきたもの。現在使用されていませんが、内部には焼き物が置かれているためイメージしやすくなっています。


さてさて、長く続けてきた萩市内のスポットもこれにてひと段落!次回からは萩の離島、「見島」「相島」「萩大島」と続けていく予定です。

アクセスと営業情報

開館時間 10:00~16:00
休館日 月曜~木曜
料金 600円
公式サイト https://www.taibi-hagi.jp/

※掲載の情報は2026年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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