関ケ原の町には、かつて東洋最大規模の火薬庫が存在していたことはあまり知られておりません。今回はその名残を感じることができる戦争遺跡「営門」「立哨題」「火薬庫」をめぐってみました。いずれも道路に面しているので、観光の合間に気軽に立ち寄れますよ!
東洋最大規模の火薬庫
「関ケ原の戦い」で知られる岐阜県関ケ原。戦国時代の陣跡などが多く残されていますが、それとは別に大正〜昭和期の戦争遺跡が残されているのをご存じでしょうか。
戦時中、この区域一帯は火薬庫として使用されていました。その名も「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」。地区の名を冠して、通称「玉の火薬庫」と呼ばれていました。
大正3年(1914年)に地元住民の大半が参加して建設、それから昭和20年(1945年)までの30年間が稼働期間。周囲6km、面積は270ha、火薬量は320トンと広大であり、東洋一の規模の火薬庫であったそう。
交通の便が良い立地、人家からの距離、そして小高い丘が並ぶため洞窟を築きやすかったという様々な条件がそろっていたのが、この地が選ばれた理由であったようです。
営門跡に残る門柱
まずは営門から。門そのものは残っておりませんが、現在は門柱の一部が残っています。

石造りの強固な門で厳重な警備がされていたそう。ここを抜けるには門鑑と呼ばれる通行許可証が必要だったようです。
思ったより小規模で幅も狭めですが、セキュリティ上の理由でしょうかね。
監視のための立哨台
門のそばにある、大人ひとりサイズの構造物。こちらは立哨台という、火薬庫内の監視・警戒にあたる歩哨が立っていた場所。昼夜問わず24時間交代制で監視が行われていました。

かつては7ヶ所ありましたが、現存しているのは3ヶ所。営門以外では、火薬庫に向かう途中と、第5火薬庫向かって右にあります。

自由に中に入れるので、ちょっとしたフォトスポットにもなっているそうです。
メインとなる火薬庫跡
関ケ原鍾乳洞のすぐそばには、火薬庫が残されています。

小山を掘って造った洞窟式の火薬庫。内部にコンクリートを流した後、土や植物でカモフラージュしていました。
全部で5つあり、全て現存しています。内部は立ち入り禁止ですが、覗いてみるとペイントがたっぷり。「モトオ」が来たっぽいです。

さらに奥の火薬庫部分も見えます。ライトで照らしてみたところ、思ったよりキレイに保たれているみたいで一安心。こういう人の入らない暗闇を照らす瞬間って、とんでもないもの見てしまわないかどきどきしませんか?

少しだけ入れる火薬庫も
いくつか並んでいる火薬庫のうち、第5火薬庫にかぎり、ちょっとだけ内部が見学可能となっています。

ここには展示もあります。火薬庫の詳細や、当時の周辺施設を記した地図、現在の遺跡を記したマップなどもあり、とりあえず最初に訪れるのにもおすすめ。

ここもやっぱり奥には入れませんが、ライトアップされているため中の様子はしっかり見えます。アート作品と呼べそうなくらい、美しさを感じるたたずまい。

この火薬庫の周りは、幅1mの通路が通っています。湿度や温度変化から火薬を守るための二重構造、「魔法瓶」と同じ仕組みです。もちろん立ち入り禁止ですが、その構造は感じ取ることができます。

そんなわけで、さくっとめぐった火薬庫の跡。いずれも道路に面しており、車を停めるスペースもあります。関ケ原観光の合間に、ちょっとしたアクセントで加えてみるのもおすすめです!
アクセスと見学情報
このあたりに「火薬庫跡」と「歩哨台」がありました!



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