強度に優れた鉄をつくるための高温を作り出すことができる溶解炉「反射炉」。萩市には、幕末に建造された反射炉が今なおそのまま残されています。造られた経緯をたどると、長州藩が近代化を急いでいた様子を感じることができます。
アクセスしやすい世界遺産
「恵比寿ヶ鼻造船所跡」の次に向かったのは萩反射炉。こちらもまた世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産に登録されています。
市街地からは少し離れておりますが、「道の駅萩しーまーと」から徒歩約5分ほど。駐車場は「セブンイレブン萩反射炉前店」の駐車場とシームレスになっています。

駐車場から反射炉までは階段をのぼっていきます。ちょっと山道のような雰囲気ですが、すぐ着くのでご安心を。

ファンタジックな外観
木々に包まれてそびえたつ萩反射炉が見えてきました!まるで古代遺跡のような建造物で、どこかファンタジックさも感じる独特なたたずまい。ジブリ作品、もしくは藤森輝信建築にも通じる魅力を感じます。

2本の煙突状の遺構は、その高さ10.5mにも及びます。よく見ると、上に行くにつれて材質が途中で変化しています。8mあたりまでは安山岩、それ以降はレンガが採用されているようです。

その姿からはいったい何のための施設か想像しづらいですが、反射炉というのは金属を溶解するための施設。鉄を溶かして大砲などを鋳造するために建造されました。
溶解炉の仕組み
そびえたっているのは、炉の煙突にあたる部分。下の部分には燃焼室があり、燃料の炎や熱を天井に反射させ、温度を高めて鉄を融解していました。

高い煙突は大量に空気を送り込むことができ、炉内の温度は千数百度にも達していたそうです。

高温にすることで鉄に含まれた炭素などの不純物を取り除き、従来の「たたら製鉄」で精製される硬くてもろい鉄とは異なる、粘り気のある鉄に変えることができます。これにより、強度に優れた大砲を鋳造できるようになるのです。

反射炉建設の経緯
欧米列強に対する危機感が高揚した江戸時代後期、鉄製の洋式大砲を作るための反射炉の知識が蘭書によってもたらされます。嘉永4年(1851年)には、佐賀藩が最初の反射炉を完成させます。
萩藩は藩士・山田宇右衛門らを佐賀藩に派遣し鋳造法習得を目指すも、佐賀藩は拒否。翌年、小沢忠右衛門が長州藩で発明された「砲架旋風台」の模型を持参。交渉の結果、反射炉の見学が許されます。
そこで得た知識をもとに、安政3年(1856年)頃、萩反射炉は建設されます。これにより、幕末の長州藩の戦力となる多数の大砲が鋳造されていく・・・と思いきや、萩反射炉での鋳造記録はみつかっていないそう。
あくまで試験的に造られたものであり、技術的にも費用的にも難しいと判断されたため、この形式の反射炉築造は断念されたと考えられています。実用化はされていなくとも、日本の工業化が試行錯誤しながら発展していったことを物語る資産として評価され、世界遺産にも指定されました。

佐賀藩・萩藩以外にも水戸藩・薩摩藩・島原藩など各藩にて建造されていた反射炉ですが、そのまま現存しているのは、静岡県の「韮山反射炉」とここだけ。天災も戦災も免れて残ってきた世界遺産。屋外であるため風化は避けられないと思いますが、今後も保存されていくことを願うばかりです。
このあとは、萩港から「見島」という離島へ向かいます!次回は久々の島めぐり、といいたいところですが、他に訪ねた「相島」「萩大島」と合わせて書きたい気持ちが出てきたので、順番を変えて「大板山たたら製鉄遺跡」について書こうと思います!世界遺産シリーズつづきます。


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