都心のビルに囲まれた鎮魂の場『将門塚』(千代田区・大手町)

東京都(23区)

東京・大手町の地に佇むのは、平将門を祀るための塚。「平将門の乱」で良く知られる人物ですが、どのような目的であったのか。そして、この塚はどのような経緯で建てられたのか、さらっと見ていこうと思います!

訪問日:2024/8/3(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

大手町に残る将門塚

オフィスビルが立ち並ぶ大手町。Otemachi Oneの隣には、何も建っていないぽかんと空いたスペースがあります。

広場のような空間の中央には板碑が建立されており、その周りには参道と砂利が敷かれています。

ここは平安時代の豪族・平将門の首を祀る平将門塚

2016~2020年に行われた大手町再開発事業であるOtemachi Oneの建築終了にあわせて、2020年11月から改修工事がスタート。2021年4月に工事が完了し、美しい姿へと生まれ変わりました。

平将門の目的

ここに祀られる平将門は、平安時代の武士。関東地方に勢力をもっていた、いわゆる「坂東武者」です。武士でありながらも桓武天皇の血を引くという高貴な人物であったそう。

平将門といえば935年におこった「平将門の乱」。下総にて挙兵した将門は、関東の八ヶ国の国府を攻撃し各国司を追放。関東を手中に治め、自らを平新皇と称しました。

朝廷に対して反乱を起こした「謀反人」という印象が強いですが、この戦いには腐敗した地方政治や、藤原氏によって独占されていた朝廷の悪政に人々が苦しんでいたという時代背景があります。事の発端は一族に対する私闘であったようですが、乱れた世の中から人々を救うために戦ったヒーローとして描かれることが多いです。

最終的に将門は平貞盛と藤原秀郷の奇襲を受け、討ち取られてしまいます。

怨霊となった将門

討ち取られた将門の首級は京都に送られ、七条ヶ原に晒されます。しかし、ここで不思議な出来事が。首は何日経っても腐ることがなく、目を開いたり、声を上げたりという怪現象が立て続けに起こったそう。

やがては自らの身体を探して飛び回り、ついに武蔵国(東京)まで飛んでいってしまいます。

首は途中で力尽きて落下しますが、その落下地点では大地は鳴動し暗夜のようになるというさらなる怪現象が。人々は恐怖して塚を築いて埋葬、これが将門塚のはじまりといわれています。

カエルの由来

塚の前にはカエルの置物が置かれています。荒武者のイメージが強い将門とはなかなか結び付きませんが、どのような由来があるのでしょうか。

将門の首が飛んで関東へ帰ってきたという伝承から、必ず「帰る=カエル」ということで、かつては将門塚にカエルを奉納するという信仰があったそう。左遷に遭った会社員が無事に戻ってこられるように、行方不明になった人が無事帰ってこられるように、といった願いをかけて供えられていたそうです。

このカエルを納める信仰のきっかけは、1986年11月にフィリピンで三井物産マニラ支店長が帰宅途中に誘拐されたという事件。同社の社員が無事を祈り将門塚にカエルの置物を奉納したのがはじまりであったそう。祈りが通じたのか、誘拐された支店長は136日後に無事解放されました。

以前は多数奉納されていたカエルですが、2020年からはじまった改修工事にあわせて、神田明神の境内へ移されたようです。

Wikipediaによると現在は奉納禁止となっているようですが、裏側には様々なカエルたちがささやかに奉納されていました。

(※奉納禁止の情報ソースは見つからずです)


平将門は、讃岐国(香川県)に配流され様々な厄災をもたらしたとされる「崇徳天皇」、太宰府(福岡県)に左遷され、京に雷を落としたとされる「菅原道真」とともに、「日本三大怨霊」とも呼ばれています。

禁足地のようなおどろおどろしいイメージでしたが、実際に行ってみると、非常に澄んだ空気の場所でした。「再開発や区画整理で撤去しようとすると事故がおこり妨げられた」というような祟りのエピソードは多数存在していますが、キレイに整備された境内や次々と訪れる参拝者の姿から、地域の守り神として多くの人々に信仰されている様子が伝わってきました。

アクセスと営業情報

東京メトロ・都営地下鉄「大手町」駅のC5出口からすぐ。東京駅から歩いても10~15分ほどです。

時間 参拝自由
料金 無料
公式サイト https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65

※掲載の情報は2024年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました