都内に残る貴重な戦争遺跡。かつて軍需工場に電気を送っていた変電所であり、空襲を受けてもなおその姿を留めています。生々しく残る機銃掃射の跡をそのままに、戦争の歴史を後世に伝えるため現在も大切に保存されていました。
公園内の戦争遺跡
西武拝島線や多摩モノレールが通る玉川上水駅の近くに広がる東大和南公園。その奥へと進むと、見えてくるのは異彩を放つ建物。
ここは旧日立航空機株式会社変電所。この地にはかつて大規模な航空機工場があり、それに付随する施設であったもの。
公園内にあるため外観はいつでも見学可能ですが、特定日は内部見学も可能。かつては毎月第2日曜日の13:00〜16:00という非常に限定的な公開日でしたが、2024年7月時点では毎週水曜と日曜の10:30~16:00と公開期間が拡大。訪問しやすくなりました。
ということで、今回は日曜の14:00頃に訪問してみました。見学料は無料、受付などは不要です。
1階はきれいに整備された展示室。写真やパネルでこの施設の説明や歴史が展示されています。公開日の10:45と14:00には、ガイドさんによる1時間程度の解説も行われています。
リアルな変電所設備
階段を上って2階は、配電盤や油入遮断器などがずらりと並ぶフロア。錆びついた機器からは当時の面影を存分に感じることができます。
1938年に東大和市に建設された軍用機のエンジン製造工場。ここでは高圧電線で送られてきた電気の電圧を下げて、各工場へ送っていました。
部屋内に置かれた木造の小屋のようなもの、こちらは従業員用の仮眠室。作業は24時間体制であったため、このような設備も整っていました。
生々しい空襲の跡
軍需工場の多かった多摩地域は幾度となく空襲の標的に。工場は1945年に、2月17日(土)、4月19日(木)、4月24日(火)と3度に渡る空襲を受け、多くの人が命を落としました。
この変電所も当然の如く空襲の対象となります。外壁には、機銃掃射や爆弾の破片の跡が今も無数に残されていました。窓枠や扉は吹き飛ばされてしまいましたが、コンクリートの建物本体は致命傷には至らず原型をとどめることができたそう。
館内には4月24日のB-29による空襲によって落とされた米軍500ポンド爆弾の実物大模型も。この大きな爆弾が無数に降り注いできたそう。
展示室内では映像も上映されており、空爆を経験した人のインタビューも見ることができました。
終戦後も稼働は続く
戦後、軍需工場は編み物機などの製造工場へと転身。使用できる機械類を活用して、鍋やスレート瓦の生産を行っていました。工場は、なんと2000年まで稼働を継続。それに合わせて、この変電所も1993年まで活躍していました。
廃業後、その広大な敷地は都立公園として整備されることに。変電所も取り壊しになる予定でしたが、地域住民や元従業員の活動の結果、保存されることが決定。1995年には東大和市の文化財に指定され、リアルな戦争の傷跡を後世の人々へと伝える役割を持ちました。
前述の通り公園内にあるため、周りでは子供たちのにぎやかな声が響く。痛ましい外観ではあるものの、まるで平和な余生を暮らしているような姿。建物に声があるならば、どんな気持ちか伺ってみたいものです。
アクセスと営業情報
西武拝島線・多摩モノレールの玉川上水駅より徒歩5分ほど。
開館時間 | 水曜・日曜の10:30~16:00 |
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休館日 | 月~火曜、木曜~土曜、年末年始 |
料金 | 無料 |
公式サイト | https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006102.html |
※掲載の情報は2024年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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