絶景広がる鉄壁の山城『岐阜城』は何故6回も落城しているのか(岐阜市)

岐阜県

金華山の山頂に建つ岐阜城。斎藤道三、織田信長と戦国時代を代表する武将の居住であり、急斜面の上に建つ難攻不落の山城。再建された天守に立てば、一面に広がるパノラマを楽しめます。堅牢な城に見えますが、気になるのは落城回数の多さ。何か弱点があったのでしょうか。

2020/11/23(月)

ロープウェーで向かう城

岐阜城は金華山という山の上にあります。徒歩で登ることができますが、所要時間は30分~1時間(※コースによる)となかなかハード。

金華山ロープウェーを利用すればわずか3分で山頂までアクセスできるため、登山目的でない方はこちらを利用するのが一般的。往復運賃は1,100円です。

基本は15分間隔で運行していますが、繁忙期は5分間隔くらいでの運行となります。

11月の3連休、大河ドラマ「麒麟がくる」の影響もあってか非常に混雑。9:30くらいに訪問しましたが、15分ほど待ち時間がありました。

天守の歴史

ロープウェーの山頂駅から8分ほど山道を歩いていくと、天守閣が見えてきます。

岐阜城は1201年に二階堂行政が砦を築いたのがルーツ。一時は廃城となっていたものの、美濃守護代の斎藤利永がこれを修復。以後は斎藤氏の居城として活躍します。斎藤道三織田信長など名だたる武将の居城となるも、1601年に徳川家康の手によって廃城へ。

1910年に木造の天守が再建されますが、1943年に火災で焼失。現在の天守は1956年に鉄筋コンクリート製で作られたものです。

本来の天守とは形が異なる「模擬天守」ではありますが、山上にそびえる姿は立派。真っ白な外壁にあしらわれた金色の飾りがキラリと輝きます。

城内は博物館

館内は歴史資料館。織田信長に関する貴重な資料や、築城・城下町づくりの解説パネル・模型が並びます。

こちらは木造織田信長坐像の複製。本能寺の変でこの世を去った信長の一周忌に造られたといわれている等身大の木造です。鼻立ちがシュッとしており、凛々しい顔立ちですが、ちょっと気が弱そうにも見えますね。

京都南蛮礼拝堂に描かれた信長像。地球儀や絨毯などの渡来品とともに描かれており、背後には聖母マリアの姿も見ることができます。

その傍らに置かれた鎧は、銀箔押南蛮具足。こちらは歴史的な武具ではなく、岐阜命名450年を記念して平成29年に作られたものです。怪しくたたずむ姿は、まるでダース・ベイダーのような力強さを感じます。

爽快感抜群な天守閣

天守の最上階は展望台。天守閣自体は高さ15.15メートルですが、金華山の山頂に建つためその眺めは抜群。数ある山城の中でも、見える景色の美しさはかなり上位なのではないでしょうか。

南側からは岐阜駅を中心に広がる街並み。岐阜駅は岐阜シティタワー43や岐阜スカイウイング37がそびえます。

北側からは、大きく蛇行する長良川と、乗鞍岳、御嶽山、恵那山など名だたる山々が連なります。ここ金華山の標高は329mとかなり低山ではありますが、これだけ広大な景色を見渡せるのはスゴイ!

取り入れられた新たなコンセプト

1567年に織田信長の居城となったこのお城。それまでは稲葉山城という名称でしたが、信長がこの地を「岐阜」と改めたことから岐阜城という名に変わっていきました。

信長はこの城を改修する際に、それまでの軍事施設の機能だけでなく、魅せるための工夫も行いました。城下一帯をおもてなし空間として作り上げ、多くの有力者を招き入れ、自らの力をアピールするために利用していたのです。

当時の建築が残っていないのは残念ですが、城内ではリアルな再現CGを見ることができます。特に山麓の居館は、巨大な石垣の中に華麗な建築物が並び、宣教師ルイスフロイスも「京都の金閣寺を凌ぐ」と絶賛したそうです。

近年、信長の居館の跡が見つかり、発掘調査が開始されます。華やかな陶磁器や、金箔が塗られていたとされる瓦など、当時の栄華を伝える遺物が次々と発掘されました。

難攻不落ではなかった?

険しい山の上に建つ山城であり、周囲には長良川も流れる天然の要害に恵まれた城。周辺には支城も多く存在しており、堅固な軍事要塞でした。

この城はそう簡単には落とされまい・・・・かに見えますが、歴史上ではなんと6回(※諸説あり)も落城しています。この落城回数は、日本の城郭の中でも上位にランクインするほどです。いったいなぜこれほどまで落とされてしまったのでしょうか?

防御力は見ての通り抜群に高く隙はなさそう。となると、別のところに何か問題点があったということかもしれません。
例えば、どんな攻撃も防ぐ頑丈な防具があったとしても、それを身に付ける人の体力が無ければ戦いに勝つことはできません。配置できる兵の数やそれを支える兵糧(食料)など、ディフェンス面ではなくフィジカル面こそがネックだったのではないでしょうか。

こちらは館内に展示されていた岐阜城のジオラマ。これを見るとわかるのですが、城内はほぼ急斜面となっており、平地がほとんどありません。おそらく、多くの兵を備える場所や兵糧を備蓄するスペースが無かったはず。これでは長期の籠城戦は行えません。

※この模型は現在の姿。戦国時代と建築物は大きく異なっていますが、地形はそれほど変わっていないはず。

また、岐阜城に限らず、山城全般の問題となるのが水。山頂部分に井戸はあったのですが、地下水を汲み上げるのではなく雨水を溜めるタイプの井戸。岐阜城の建つ金華山は岩でできた山のため、水脈を掘ることができなかったようです。もし、雨が降らない日が続いたならば、あっという間に水不足に陥ってしまうことでしょう。

「落城回数が多い」と書くと弱い城に思えてしまいますが、それだけ多くの武将にとって攻める必要があるポイントであったという見方もできます。東西交通の要衝であり、長良川水運の拠点でもあるこの地は、戦国武将たちにとって魅力的なポイントであったに違いありません。

アクセスと駐車場

電車の場合は、JR岐阜駅名鉄岐阜駅からバスで約15分。車の場合は東海北陸自動車道の岐阜各務ヶ原ICより約20分。山頂まで車で行くことはできないのでご注意ください。

駐車場は「岐阜公園堤外駐車場」が安いのですが、土日祝は入口に制限があります。カーナビにまかせて進むと、入場できず、かなり大回りすることになるので、きちんと金華山ロープウェーの公式サイト通りに向かうのがおすすめです。

公式サイト:http://www.kinkazan.co.jp/access.html

また、開城時間、およびロープウェーの運行時間は季節によって変わるので、そちらのチェックもお忘れなく!

コメント

  1. […] […]

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