水戸藩において様々な改革を推進した”烈公”徳川斉昭が作り上げた教育施設。その中心である正庁は今も保存されており、内部見学が可能。随所に水戸藩の建学の精神を感じることができます。
水戸藩士の学びの場
「藩校」というコトバをご存じでしょうか。江戸時代、全国の各藩が藩士の教育のために開設した学校のことを指します。明治時代の廃藩置県とともに廃止となりましたが、今でも残されている藩校がいくつかあります。
今回ご紹介する弘道館も、そんな藩校のひとつ。水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして1841年に創設しました。10.5haという日本最大規模の敷地面積を持ち、文館・武館・医学館など様々な施設が並ぶさながら総合大学のような施設であったそう。
多くの建物は幕末の「弘道館の戦い」という藩内抗争によって焼失してしまいますが、現在もいくつかの建築は保存されており、弘道館公園として整備されています。
弘道館の中心である正庁の内部見学が可能。ということで、中へと進んでみましょう!
歴史が詰まった館内
靴を脱いで建物の中へ。各部屋には案内板があり、どのように利用された部屋なのかがわかるようになっています。歩くたびに軋む木の廊下がまた趣深いです。
来館者の控えの間である諸役会所。床の間に掲げられた大きな掛け軸に記されているのは「尊攘」の2文字。藩医である松延年という人物が書いたものであるそう。
縁側に掲げられているのは徳川斉昭直筆の「游於藝」の扁額。論語の一節に因んだ「文武に凝り固まらず悠々と芸の道を極める」という意味があります。
この縁側の前の広場は対試場。武術の試験が行われる場所であり、他藩との試合が行われることもあったそうです。
対試場に面している正席の間。藩主が臨席して文武の試験が行われた場所です。床の間には文字がびっしりた詰まった掛け軸。これは弘道館記碑の拓本とのこと。(※この記碑の実物がどこにあるかは後ほど・・・)
当然、便所もあります。手洗い場、小便用、大便用と連なる3部屋。いずれも畳敷きなので、粗相してしまったら掃除がタイヘンそうです!
いわゆるお風呂場である湯殿。外部から湯や水を運んで、心を清めて身を洗う「斎戒沐浴」が行われたそう。先程の便所とこちらの湯殿は、基本的には藩主専用だったそうです。藩主たる者、粗相なんてしないですよね、きっと。
教育関連の書物
こちらは藩校の教科書。「論語」が記されており、入学試験にも出題されるほど学びの基本であったそうです。びっしりと埋められた漢文、普段見慣れていない現代人にはかなりの威圧感があります。
ずらりと並んだ冊子。こちらは水戸藩第2代藩主・徳川光圀によって編纂が始められた「大日本史」。約250年という長い年月をかけて作られた歴史書であり、江戸時代には多くの藩校で教科書として使用されたそう。ちみに全部で397巻、目録5巻も含めると合計402巻というとんでもないボリュームです。
こちらの絵巻物は青門肖像の模写。弘道館の初代教授頭取であった青山拙斎の私塾にて学んでいた子供たちの似顔絵であるそう。みんな同じ髪型ですが、細かな顔の違いが繊細に描かれています。写真などは一般的でない時代、描いてもらえた生徒はきっと凄く嬉しかったんじゃないでしょうかね。
正庁周辺の見どころ
弘道館正庁の見学を終えたところで、せっかくなので公園内を散策してみることにしました。最初に目に入ったのは孔子廟。閉門しており見ることは叶いませんでしたが、中国の孔子廟の本殿である大成殿を模した造りの建築であるそう。
その奥に鎮座するのは鹿島神社。武甕槌命を御祭神としており、徳川斉昭が弘道館開館にあたり仁孝天皇から勅許を得て建立したものです。
こちらの八角形の建物は八卦堂。これは何のための建物でしょうか?仏像を安置するお堂なのか、それとも何かを供養しているのかもしれません。
案内板を読むと、建学の精神を刻んだ弘道館記碑を収めているそう。先ほど正席の間にあった掛け軸のもとは、ここにあったのですね!
さてさて、そんな弘道館ですが、2015年には「近世日本の教育遺産群─学ぶ心・礼節の本源─」として栃木県の足利学校跡や岡山県の旧閑谷学校、大分県の咸宜園などとともに日本遺産にも指定されます。現在、日本遺産は100件を超えていますが、実はその第1号であったそうです。
アクセスと営業情報
JR水戸駅北口から徒歩8分。
開館時間 | 2/20~9/30:9:00~17:00 10/1~2/19:9:00~16:30 |
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休館日 | 12/29~31 |
料金 | 400円 |
公式サイト | https://kodokan-ibaraki.jp/ |
※掲載の情報は2024年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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