科学のまちの古代ロマン『平沢官衙遺跡』(つくば市)

茨城県

「筑波の正倉院」とも称される、奈良・平安時代の役所の跡が残る遺跡。筑波山麓の広々としたロケーションには、復元された3つの建物が並んでいます。ところで、官衙(かんが)っていったい何でしょうか?

訪問日:2024/2/11(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

1300年前の奈良時代の遺跡

平沢官衙(かんが)遺跡は、つくば市北条に残る奈良平安時代の遺跡。1975年の調査で重要な遺跡ということが判明、1980年に国の史跡に指定されます。1993年より復元整備事業がはじまり、本格的な発掘調査が行われました。

駐車場にはトイレ付の案内所があります。遺跡広場は自由に開放されていますが、こちらは開館時間が決まっているのでご注意ください。

館内では20分ほどの遺跡案内の映像「筑波の正倉院」を視聴可能。ここがどういった場所であったのか、そして復元の様子を見ることができます。木材がぴったりはまり柱や屋根が組み上がっていく様子はなんとも爽快です。

官衙っていったい何?

あまり他では見かけない官衙(かんが)という言葉。これはいったい何を意味しているのでしょうか。

平城京が開かれた奈良時代、律令制度により国・郡・里の三段階の行政区分がされます。そのときに設置された国の役所は「国衙(こくが)」、群の役所は「郡衙(ぐんが)」と呼び、それらを含めた地方の役所の総称を「官衙(かんが)」と呼びます。

ここは、常陸国筑波郡の郡衙が置かれていた場所。役人が執務する「政庁」、租税として集められた稲などの保管倉庫である「正倉」、役人が生活する「館(たち)」など、様々な建物がありました。正倉は次々と建てられていき、55棟にも及ぶ建物があったそうです。この遺跡は生活の場というよりは倉庫がメインであったため、日常の道具などはほとんど見つかっていないとのことです。

復元された建築物

1997年から6年かけて3棟が復元、遺跡復元広場となっており、自由に見学することができます。いずれも湿気を防ぐことができる高床式の建築であり、古代の雰囲気を存分に感じ取ることができる建築です。

板倉

柱が外側だけでなく、中にも続く総柱建物。掘建柱建物は1柱穴に1柱が基本ですが、よく見ると外側の柱は2本セットとなっております。1本は床を支える柱であり、lもう1本は床上までのびて梁を支える通し柱であったと考えられています。こちらは那須郡衙遺跡を参考に復元したそうです。

校倉

三角形の校木(あぜき)を積み上げており、よく見るとギザギザの壁になっています。東大寺・本坊経庫や唐招提寺に現存する奈良時代の校倉を参考に復元されたそうです。

土倉

法隆寺綱封蔵を参考に土壁と茅葺で再現された最大級の建物。郡衙において中心的で巨大な正倉は土壁構造が多いため、壁板に土を塗った土壁によって復元されました。そのため、土倉と呼ばれています。

2024年2月に訪問したところ、屋根が改修工事中であり近づけなくなっておりました。ということで、以前訪問した際の写真を載せておきますね。

ちなみに冬場は芝焼きをおこなっているため黄色いですが、春を過ぎると青々としたグリーンに変わります。写真を撮るならば冬じゃない方が映える気がしますね。

なお、今後3年かけて3棟全ての屋根の改修を行う予定とのことです。現在は土倉の手前の南側ですが、次は土倉の北側、その次は板倉or校倉に移るそうです。

アクセスと営業情報

・つくばエクスプレスの「つくば駅」より、つくバス小田シャトルで「大池・平沢官衙入口」下車後、徒歩約5分。
・JR常磐線の「土浦駅」より関東鉄道バス「筑波山口行、下妻駅行」で「平沢官衙入口」下車後、徒歩約5分。

開園時間 24時間 ※復元建物のそばにはフェンスがあり閉門する可能性があります
料金 無料
公式サイト https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-105/

※掲載の情報は2024年2月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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