怨霊となって京の都に災いをもたらしたとされる菅原道真を鎮めるために建立された神社。菅原道真はなぜ怨霊となったのか、そして境内に多数置かれた牛の像や植えられた梅の木にはいったいどのような意味があるのでしょうか。
天神信仰の総本社
京都市上京区に建つ北野天満宮は、創建は947年と長い歴史を持つ神社。天神さん・北野さんの愛称でも親しまれています。
一の鳥居をくぐり参道を進むと、重厚な楼門が見えてきます。
この神社の主祭神は天神とも称される菅原道真。全国には道真を祀る天満宮・天神と呼ばれる神社が1万社以上あるそうですが、ここはその「総本社」。天神信仰の中心であります。
なお、天満宮といえいば、福岡県にある太宰府天満宮が浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
北野天満宮と太宰府天満宮、どちらが本社なのか気になるところですが、この二社はそれぞれ別に建てられた神社であるため上下関係はないようです。そのため、北野天満宮は「総本社」でしたが、太宰府天満宮は「総本宮」と呼ばれています。
太陽と月と星の門
楼門の先に建つ三光門。この「三光」というのは「日・月・星」のことであるそう。
門をくぐり天井を見上げると、波と戯れるウサギの間に三日月の彫刻が。(ちなみに、この波とウサギはきっと「波乗りウサギ」を表しているのでしょうね。)
彫刻を見渡していると、雲間に輝く真っ赤な太陽も見つけました。
とくると、星もあるのでしょうか?じっくりと観察してみたところ黄色い円形のものを見つけましたが、星というよりは太陽、もしくは満月に見えます。
実は星の彫刻はないため、「星欠けの三光門」とも呼ばれています。なぜ星が無いのか・・・それは平安京の大極殿から見ると、天満宮の上に北極星が輝いていたからであると言われています。星は夜空に浮かぶリアルな星だなんて、なんとも風流な考え方です。
権現造の御本殿
三光門の先に見えるのは御本殿。豊臣秀吉の遺命を受けた豊臣秀頼により、慶長12年(1607)に造営されました。現存する貴重な桃山建築は、国宝にも指定されています。
ヒノキの樹皮を用いた檜皮葺の屋根がシックですが、曲線的な飾り屋根の「唐破風」や、随所にあしらわれたゴールドの装飾が華やかな印象に仕上げています。
見えているのは正確には拝殿と呼ばれる社殿。その奥に石畳の廊下である石の間を挟み、本殿が連なります。この建築様式を権現造と呼ぶそう。
あれ、権現造発祥は1617年に建立された久能山東照宮の社殿であったはず。北野天満宮の御本殿は1607年と10年も前なので、こちらが発祥となるのでは・・・?
正確なことはわかりませんが、どうやら権現造はもともと八棟造と呼ばれており、この北野天満宮は最古の八棟造であるそうです。後に、東照大権現を祀る東照宮へと引き継がれていったため、権現造と呼ばれるようになったそうです。まとめると、建築様式としての元祖はここ北野天満宮、権現造という名称が使用されるようになったのは久能山東照宮から、ということでしょうかね。
左遷された菅原道真
菅原道真はもともと右大臣として京の都で活躍していましたが、陰謀によって都から大宰府(福岡県)へと左遷されてしまいます。政治に関わることはもちろん、衣食住もままならない環境に置かれ、2年後には失意のなかで没してしまいます。
菅原道真の死後、不思議なことがおこります。左遷を企てたとされる張本人、藤原時平は病に倒れ命を落とします。都では疫病が流行したり、日照りが続いたりとよくないことが立て続けに起こり、これは全て菅原道真の祟りではないかとウワサされるように。
さらに平安京の内裏の一つである清涼殿に雷が落ち、多くの犠牲者が出ます。
朝廷は北野の地に神社を建て、道真の祟りを鎮めようとします。この神社こそが、この北野天満宮なのです。
天神信仰ってどんな信仰?
そんな菅原道真を神として祀るのが天神信仰。道真は天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られたのがその名の由来であるそう。
さらに清涼殿の落雷事件から、道真は雷神とも結び付けられようになります。もともとこの北野天満宮がある場所には「火雷天神」という神様が祀られており、道真をこの火雷天神と同一視したことで、この場所に天満宮が建てられることになりました。
当初は恐ろしい怨霊として祀られていましたが、やがて時が経つにつれて慈悲の神、芸能の神など様々な信仰が生まれていきます。雷は雨とともに発生することから、転じて農耕の神としての性格も加わり、非常に多くの御神徳を持つ神として信仰されるように。
今日では、道真が優れた学者であったことから、学問の神としても知られています。合格祈願に訪れる参拝者も多く、境内には「○○大学合格」や「〇〇試験合格」といった願いが込められた絵馬が多数奉納されています。
また、道真の誕生日が6/25・命日が2/25と、いずれも25日であることから、毎月25日を例祭としていることが多いです。この北野天満宮も毎月25日が御縁日!たまたま3/25に訪問したところ、境内は多くの露天商が並び大賑わいでした!
境内に置かれた臥牛の石像
天満宮において神の使いとされるのが牛。各地の天満宮には臥牛の石像があり、ここ北野天満宮にも多数の牛の像が置かれています。
道真が丑年生まれであり、大宰府に左遷される際に牛に乗って向かったなど、牛に関わるエピソードが多数あるのがその理由といわれています。
この牛の像は「撫で牛」と呼ばれており、なでることでご利益があるそう。多くの参拝者に撫でられ続けてテカテカです。
ところで、なぜ臥牛という伏せた姿の牛なのでしょうか?これは道真が最期に遺した言葉「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」に基づいています。
道真の遺骸を運ぶ途中、その車を曳く牛が座り込んで動かなくなってしまいます。人々は道真の遺言に従い、この牛が座った場所に道真を埋葬したそうです。
空を飛ぶ梅の伝説
道真は梅を愛していたことでも知られており、境内には1,500本もの梅の木が植えられています。2月上旬から3月下旬には梅苑が公開、夜間ライトアップも開催されるそうです。
道真と梅に関する伝説としてよく知られているのが「飛梅伝説」。大宰府に左遷される際、親しんできた梅の木にこの歌を詠みます。
「 東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」
まるで恋人との別れのように想いのこもった歌。これを聞いた梅の木は、道真が大宰府に到着すると、後を追うように飛び立っていき大宰府の地に根付いたそう。
御本殿の傍に植えられているこちらの梅の木は、そんな飛梅伝説の原種であるそう!なお、この木は他の梅の木よりも早く咲くとのこと。サクラの季節である3月下旬に訪問したところ、もう完全にこぼれてしまっていました。
アクセスと参拝情報
京福電車の白梅町駅より徒歩約5分。バスの場合、最寄りバス停は《北野天満宮前》。京都駅から35分ほどでアクセスできます。
参拝時間 | 7:00~17:00 ※時期により異なる |
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料金 | 無料 |
公式サイト | https://kitanotenmangu.or.jp/ |
※掲載の情報は2023年3月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認くださ参拝
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