コンクリートの遺構が残る銅山の跡『土倉鉱山跡』(長浜市)

滋賀県

明治から昭和まで採掘が行われてきた銅山。閉山した今も、その遺構は多数残されております。木々に包まれたコンクリートの鉱山遺跡は雰囲気抜群!車があればそれほど苦労することなくアクセス可能です。

訪問日:2026/5/8(金) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

山奥に残る鉱山跡

ここは滋賀県の長浜市。長浜城や黒壁スクエアなど人気の観光スポットが多数あるエリアですが、かつて鉱山があったのをご存じでしょうか。

その名を土倉鉱山(つちくらこうざん)といい、今もその遺構が残されているそう。ということで、朝イチで訪ねてみることに!

長浜市とはいえ、琵琶湖から離れた山の中。ほぼ岐阜県との境目のあたりにあります。

比較的良好なアクセス

国道303号線を北東へ進み、最後は脇道へとそれます。すれ違い困難な道を800mほど進むと、開けた場所に到着。

ここから300mほどとのこと。既に車が停まっていたのでここが駐車場であとは徒歩かなと思いきや、まだ車道は続いています。

試しに車で進んだところ、鉱山跡に到着。目の前に砂利の駐車場があり、10台以上は停められそうでした。そんなわけで、山道を歩くことなくすぐに見ることができます。意外にもアクセスは良好です。

木々に包まれた遺跡

目の間に広がるのは木々に包まれた構造物。フェンスがあるため近づくことはできませんが、丈が低いので手を伸ばせばフェンスなしの写真も簡単にとれます。

木でわかりにくいですが、山の斜面にそって多数の遺跡が並んでいます。草木が絡む姿はまるで古代遺跡のような風格です。

かつては自由に立ち入れる状況でしたが、多くの人が撮影に訪れる中で滑落事故がり、制限されるようになったそうです。

様々な施設の跡

ここは鉱山の中の第3選鉱場跡。選鉱場というのは、鉱山から掘り出された鉱石を砕き、有用な金属鉱物と不要な岩石を物理的に分離・精製するための施設のこと。

こちらの骨組みは、おそらく銅を貯蔵するためのホッパー。まるで神殿のような姿です。

木々の中には、おそらくシックナーらしき設備の跡も見えます。薬剤で銅を分離するための円形の構造物です。

手前の円筒はなんだろう。私の勘が、銅の輸送に使用したトロッコのレールの覆屋ではないかといっていますが、正確なことはわからずです。

かつてはそれぞれに建屋が並んでおり、立派な工場であったそうです。案内板には当時の写真も掲載されていました。

土倉鉱山の歴史

この土倉鉱山は明治40年(1907年)に中島善十郎によって発見され、その3年後より採掘がスタートします。

ここより北側の奥土倉に坑道が掘られ銅鉱石の生産が行われていましたが、雪崩によって被害を受けたため、昭和15年(1940年)に国道寄りの場所に新たに坑道が掘られ、事業所や住宅などすべて施設が現在の場所に移動しました。

昭和20年(1945年)頃の最盛期には従業員500人、家族を含めて1500人ほどが生活していたそう。住宅や浴場はもちろん、運動場や理髪店、小学校分校、診療所、映画館もあり、鉱山町のにぎわいを見せていました。そんなかつての施設を記したマップも掲示されています。

にぎわいを見せた鉱山でしたが、銅の輸入自由化や鉱質の低下により競争力を失い昭和40年(1965年)に閉山に。その後、建物は撤去されましたが、コンクリートの遺構のみが残り、今に至ります。

かつて多くの人々でにぎわった鉱山の面影は、今ではほとんど残されていません。しかし、その独特の景観から現在は「滋賀のラピュタ」とも呼ばれ、多くの人が訪れる人気の撮影スポットとなっています。

一方で、注目を集めるようになったことで、不法侵入をはじめとするマナー違反が問題となることもあります。土倉鉱山を訪れる際は、ルールとマナーを守り、この貴重な産業遺産が歴史を語り継ぐ場所として、これからも大切に受け継がれていくことを願いたいものです。

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