河童伝説も残る文人ゆかりの湖沼『牛久沼』(牛久市~竜ヶ崎市)

茨城県

カッパにまつわる民話が残されている牛久沼(うしくぬま)周辺。画家の小川芋銭(おがわ うせん)や、小説家の住井すゑ(すみい すえ)の生活を感じながら、沼の傍をめぐってきました!

訪問日:2026/08/16(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

牛久沼の見どころ

茨城県の南部にある牛久沼は、利根川水系の小貝川支流に含まれる沼。名前的に牛久市にあると思い込んでいましたが、実は全域が竜ヶ崎市に属しています。

前回の記事に記したように「うな丼発祥の地」であったり、画家の小川芋銭や、小説家の住井すゑが暮らしていた場所としても知られています。そして、河童伝説も残されています。

今回は以下のスポットをめぐって、歴史や河童について学んできました!

・牛久市観光アヤメ園
・河童の碑&カッパ松
・雲魚亭(小川芋銭記念館)
・住井すゑ文学館
・得月院

河童像の置かれたアヤメ園

まずは、今回めぐった中で一番北にある牛久市観光アヤメ園からご紹介。アヤメ、ハナショウブ、カキツバタが咲く公園。花期が終わっていますが、わざわざ訪ねた理由がこちら。

園の真ん中には河童像が置かれているのです!手足が長く、リアルな仕上がりの河童像。足元には、ひとまわり小さな河童の姿も。子ども河童でしょうか?

その奥にも河童像あります。子供のような姿の河童は、イヌと対峙しています。あれ、ということは先ほどの小さな像は子どもではなかったかもしれません。

アヤメ園の傍に架かる三日月橋にも河童像がいます。こちらも同じく体育座りスタイル。このポーズに意味があるのか気になるところですが、像に関する情報を見つけることができず。

この牛久市観光アヤメ園から「河童の碑」「小川芋銭記念館」「住井すゑ文学館」までの沼の畔には「かっぱの小径」という散策路が整備されています。全長1kmほどなので歩いても全然問題ない距離ですが、今回は車移動します。なぜなら8月につき暑さ+蚊がたくさんいるからです!

河童の碑とカッパ松

ということで、河童の碑の駐車場に到着。6台ほどの小さなスペースのそばには、竹林が広がっています。昼間でも少し薄暗く、カッパが出てもおかしくない雰囲気。

その奥に建つのが河童の碑。小川芋銭没後、敬慕する者によって建立された石碑です。

この小川芋銭(おがわ うせん)という人物は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家。牛久沼と河童について話す際に外すことのできない重要人物です。

牛久藩士の長男として明治元年に東京で生まれ、明治4年(1871年)の廃藩置県により一家で牛久に帰農。河童を描いた作品を数多く残しており、「河童の芋銭」とも称されています。昨日訪ねた銚子の「大内カッパハウス」でも、「江戸時代の怖い姿から、人間のような親しみやすいデザインを作り出した重要人物」として教えてもらいました!

河童の碑の近くにあるのがカッパ松。かつて村の若者を沼に引きずり込むカッパを村一番の屈強な若者が縛り上げたとされる松です。縛られた河童があまりに泣いて詫びるので村人は放してあげたところ、それ以来沼で溺れるものはなくなったそうです。

もしかして、先ほどの体育すわりは反省してしょんぼりしている姿だったのでしょうかね。

河童を描いた小川芋銭

カッパ松の側にある木造建築は、小川芋銭の最晩年の住まいを兼ねたアトリエ、雲魚亭。遺族により牛久市に寄贈され、小川芋銭記念館としてオープンしました。見学は無料、受付も不要。靴を脱いであがるタイプです。

館内は撮影禁止。使用していた筆や刷毛に加えて、顔料にニカワなどの固着剤を練り合わせた固形の絵の具「顔彩」、土や貝殻を粉砕して水を加えた「水干絵具」、鉱物を粉砕して作った「岩絵具」といった画材も展示されています。

手書きの小川芋銭の手紙も。名筆として知られており、訪問客を避けるため玄関に掲げた「面会謝絶」の張り紙すら持ち去られたという逸話が記されていました。

床の間には芋銭の作品《河童と草馬》や《利根川の夜船に現はれたるカッパ》の展示も。いずれも複製であり、彼の作品を多数見ることができるわけではないのでご注意を。

作品の写真を掲載できないとイメージしづらいと思いますので、「大内カッパハウス」に展示されていた作品をイメージとして掲載させていただきますね!

ちなみにこの記念館、土日祝日しかオープンしていないのでご注意ください。また駐車場もないので、先ほどの「河童の碑」、もしくはこの後紹介する「住井すゑ文学館」の駐車場を利用するのがおすすめです。

開館時間 10:00~15:30
休館日 平日
料金 無料
公式サイト https://www.city.ushiku.lg.jp/kanko-bunka-sports/culture/rekishi/page000312.html

※掲載の情報は2026年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

差別と闘った文人・住井すゑ

小川芋銭記念館から歩いてすぐのところにあるのが住井すゑ文学館。小説家である彼女の書斎があった建物が牛久市に寄贈され、その後整備されて2021年に開館した文学館です。

訪問時間が最終入館15:00間際になってしまいもう閉館作業を行っているところでしたが、おじさんの優しさで特別に入れてもらえました。「お盆期間で入館料は5,000円だよ」なんて冗談も。

オープンしてまだ5年なので、館内はとってもキレイ!彼女が手がけた多数の書籍、愛用の万年筆とインク、手帳や草稿などが展示されています。

住井すゑ(すみい すえ)は明治35年(1902年)に奈良県に生まれます。17歳で出版社に採用されて上京するも、女性社員への給与差別に抗議して退社。大正10年(1921年)に農民解放を目指した農民文学者・犬田卯(いぬた しげる)と結婚、昭和10年(1935年)に犬田の郷里である牛久に家族で移住。そこで執筆活動を行います。「夜あけ朝あけ」「向い風」、犬田卯との共作「愛といのちと」など多数の作品を手掛け、56歳に執筆を開始した自由と平等を求めて差別と闘う物語「橋のない川」は、ロングセラーになり映画化もされました。

文学館の傍に建つのは抱樸舎(ほうぼくしゃ)。かつて住井すゑが公開学習会を開いた建物で、現在は牛久を紹介する映像が流れる休憩スペースとなっています。

気になるのは、これだけ近くに住んでいた住井すゑ&犬田卯の夫婦と小川芋銭との間に接点があったのかというところ。犬田卯は牛久に戻る以前に芋銭に援助を仰いでいたりという関わりがあったようです。その後、牛久に戻ったことで超ご近所になるも、その3年後に芋銭は他界しています。

その後、住井すゑは、芋銭の没後に建立された先ほどの河童の碑の建立に関わったという話もあるそうです。

開館時間 10:00~15:30
休館日 月曜〜水曜
料金 100円
公式サイト https://www.city.ushiku.lg.jp/kanko-bunka-sports/culture/bunka/page010300.html

※掲載の情報は2026年8月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

芋銭の眠る得月院

最後に訪ねたのは得月院というお寺。1600年頃に開かれたという曹洞宗の寺院です。大正時代に火災により焼失、再建されています。

境内にある墓地には小川芋銭の墓が、妻こうの墓と隣り合わせで並んでいました。

こちらの榧(かや)は樹高20m、幹周り5m、推定樹齢500年という巨樹。小川芋銭の作品《樹下石人談》のモチーフになったとされています。


そんなわけで、牛久沼周辺の見どころをめぐる旅もこれでおしまい。今回めぐったのは、1kmほどの範囲内なので、徒歩でもめぐれる距離感。派手な見所はありませんが、静かな沼のそばを歴史を感じながら歩く情緒を感じられるコースです。人の気配は少なめなので、もしかしたらカッパに出会えるかもしれませんよ!

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