レンタサイクルでめぐる焼尻島(やぎしりとう)。そこで出会ったのは工兵隊による土木工事の記念碑、庚申塚、会津藩士の墓。いずれもそこまで珍しいものではありませんが、こんな北の離島にあるのが驚きポイントでした!
いきなり感じる戦争の影
羽幌港ターミナルから朝イチの高速船で焼尻島にわたり、レンタサイクルを借りたのが前回までのお話。

案内マップ通りに反時計回りに進むと、最初に見えてくるのが工兵街道記念碑。特に案内板などは設置しておりませんが、「工兵街道」ってなんでしょうか?

パンフレットによると、島内に延びる道道255号線の北側の海岸部は、戦時中に島に駐屯していた旧陸軍旭川工兵隊が切り崩して作ったことから、工兵街道と呼ばれているそう。
傍にはちょっとした展望台もあり、工兵街道が伸びる様子を見ることができます。海沿いの崖の上に道を造るのは、きっとかなりの重労働であったはずです。

こんな長閑な島に戦争の影を感じるのが少し意外に感じます。てっきり太平洋戦争中のできごとかと思いきや、工兵街道が整備されたのは昭和9年(1934年)とあり、太平洋戦争開戦以前のこと。国際連盟を脱退して国際的に孤立が進む中、ソ連に対する備えの一環として、この島も整備していたのではないでしょうか。
「もしかして他にも砲台跡などの戦争遺跡があるのでは」と思ったのですが、他の戦跡は見当たらず。派遣されていたのが「工兵隊」という土木工事中心の部隊であったことからも、要塞化というよりは軍事的背景に基づくインフラ整備だったのかもしれません。
島にも伝わる庚申信仰
さてさて、最初から少し重い話になってしまいましたが、ここで工兵街道を進まずに内陸へ入るのがおすすめルート。「自転車ロード オンコ林」という案内板も設置されています。

またまた出てきた「オンコ」ってなんだろう。林ということは樹木でしょうか?
進んだ先にあるのが庚申塚。体内に潜む「虫」を外に出さないため、60日毎に不眠の日を過ごすという「庚申待ち」。これを18回繰り返した記念に建てるのが、この庚申塚なのです。

江戸時代に広く普及した信仰であるため各地で見ることができる庚申塚ですが、こんな北の離島にも及んでいたのが驚きです!
庚申信仰について、詳しくはこちらの記事にて。

会津藩士の墓所
その先にあるのが会津藩士の墓。こんな離島になぜ会津藩士の墓があるのでしょうか。

戊辰戦争の影響かと思ったのですが、この墓が建てられたのは幕末より以前。江戸幕府は北に対する守りを強化すべく、東北諸藩に蝦夷地の警備を命じます。会津藩の担当となったのが宗谷・利尻・樺太方面。約1,600人もの会津藩士が北方警備に動員され、そのうち約250人が利尻島方面へ派遣されたそう。
ここに眠る2名の行動記録は残されておりませんが、北方へ向かう途中、あるいは帰還の際に船中で亡くなり、焼尻島に寄港して埋葬したと考えられています。
焼尻島と会津藩の直接の関係を示すものではなさそうですが、江戸時代にこんな遠くまで藩士が派遣されていたというのが驚きでした。
原生林の中の道
進んでいくとオンコ原生林入口が見えてきます。車両進入禁止のマークとストッパーがあるため、こことは別に自転車ロードがあるはず。そう思って引き返したのですが、一向に入り口が見当たらず。戻ってきてよく見ると「自転車はOK」との記載が!これは初見クリア難しいです!!

ということで、木々の中の道を進んでいきます。ミズナラ、イタヤカエデ、ハリギリなどが生い茂る道。こんな自然たっぷりな中を自転車で進むのは最高過ぎます!

通り抜けた先にはトイレ付き駐車場あり。もし車で原生林に入る場合はここに停めるのでしょうね。

森の先は広々とした風景の一本道。小浜島のシュガーロードを思い出す、開放感あふれる道です。

マップによると、この辺りが「焼尻めん羊牧場」とのことですが、ヒツジの気配がありません。もうヒツジはいなくなってしまったのでしょうか?
つづく。


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