人々の歴史が刻まれた神社『奈良橋八幡神社』(東大和市)

東京都(市町村部・多摩地区)

東大和市に鎮座する八幡神社。詳しい創建は不明ですが、中世には社殿が造られ、信仰されてきました。派手な見どころはありませんが、じっくり見学していると様々な歴史の跡を感じることができます。

訪問日:2026/6/13(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

森に包まれた神社

「東大和市立郷土博物館」の後に訪ねたのは奈良橋八幡神社。博物館のすぐ裏手にあり、鳥居の先の階段を登っていきます。

生い茂る木々。鳥居の前までは住宅街といった雰囲気でしたが、一気に森の匂いが漂ってきます。

登った先は広い駐車場。そして左手には大和八幡幼稚園が見えます。土曜日だったのでとっても静かですが、平日はきっとにぎやかなのでしょうね。

正確な創建年は不詳

この神社の創建年は不詳。案内によると、かつてこの地に逃げ延びた武士が森の中で野営した際に宮を発見。そこで眠ったところ、夢枕に八幡神が現れ、「宮が壊れているため建て直すように」とお告げを受けます。その話をきいた領主の石川太郎右衛門は寄付をして天正3年(1575年)に再興したそう。

そんなわけで、再興の情報はあれど創建についての情報がない「いつからか存在していた神社」なのです。うーん、なんだかミステリアスな雰囲気があって良いですね!

現在の社殿は昭和7年(1932年)に改築されたものであるそう。

主祭神は八幡神社であるため誉田別之命。第15代天皇・応神天皇であり、武士の守護神として信仰されてきた神様です。

社殿のそばに置かれている根株。かつて参道の入口にあった大杉の根株であり、樹齢は約270年と推定されていました。樹勢が衰え枯死寸前であったため、切り倒された後、ここに根株が保存されることになったそうです。

凱旋を記した木板

社殿に掲げられているのは多数の木板。いずれも「凱旋」と記されています。

読み解いてみると「明治丗七八年日露戦争」と書かれています。現代とは異なる漢字や表記もありますが、おそらく戦争に従軍した人が凱旋記念に奉納したものなのでしょう。きっと、出征する前に八幡様に武運と無事を祈り、無事帰還できたことにお礼参りされたのでしょうね。

こちらは「大正七八年 西比伯出征」との記載。おそらく地名であろう「西比伯」を調べてみると、何故かジャスティンビーバーがヒットします。どうやらジャスティンビーバーは中国で「比伯」と記載するそう。

あきらかに異なる情報を前に、ある程度の予想をつけながら検索してみたところ、シベリアを「西比利亜」「西伯利亜」と記載することが判明。おそらく大正7〜11年に行われた「シベリア出兵」からの帰還を記念してのものでしょう。

あれ、この社殿って昭和7年(1932年)に建てられたものですよ!?ここに掲げられているのはそれ以前のもの。ということは、改築の際に一度外され、改築後も引き継いだということでしょうかね。

縄文時代の遺跡

古来より人々が暮らしていた狭山丘陵。周辺には縄文時代の遺跡が多数発見されています。

そんな中でも八幡谷戸遺跡は、神社の境内にある遺跡。遺構などは整備されていないため何かが見られるというわけではありませんが、駐車場のトイレの裏にさりげなく案内板が設置されているのを見つけました。

昭和53年(1978年)に実施した確認調査により縄文時代中期の土器や石器、竪穴式住居が保存されていることが判明。昭和60年(1985年)の発掘調査では竪穴式住居跡や大量の土器・石器が出土したそう。

東大和市立郷土博物館では、この遺跡から出土した打製石斧などが展示されていました。他にも多数の出土品の展示や、狭山丘陵の成り立ちに関する展示も豊富。神社の参拝と合わせての訪問がおすすめです!

次回は、すぐ近くにある「豊鹿島神社」。こちらもまた長い歴史をもつ神社です。つづく。

アクセスと参拝情報

開門時間 境内自由
料金 無料
公式サイト http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/kitatama/higashiyamato/2994

※掲載の情報は2026年6月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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