北見のまちの中心から少し離れた高台には、レトロな洋館が建てられています。かつてこの建物には、アメリカ人宣教師のピアソン夫妻が暮らしていたとのこと。いったいどのような人物だったのでしょうか。
高台に建つ洋風建築
北見駅より西へ歩くこと約15分、のどかな雰囲気のピアソン公園内にはレトロな洋風建築が建てられています。
こちらはピアソン記念館。大正時代から昭和初期にかけて宣教活動に従事したアメリカ人宣教師夫妻のジョージ・ペック・ピアソンとアイダ・ゲップ・ピアソンの業績を記念して、その旧邸を資料館として保存・公開した施設です。
街を見渡すかのように少し高い丘の上にあり、ロケーションは抜群。
記念館のヒストリー
館内には写真や資料が多数展示されています。入館料は無料、予約などは不要で見学することができます。
この建物が建てられたのは1914年。ピアソン夫妻はここで約15年生活したのち、アメリカへ帰国。その後、1939年に唐笠学という医師に買い取られます。これは軍部の圧力から建物を守るためであったそう。
戦時中は住居として利用され、1945〜51年には「柏樹荘(かしわぎそう)」という名で文化活動の拠点に。月刊俳誌「阿寒」の編集部が置かれていました。
1953年に唐笠氏は保存を条件に北見市へ寄贈、その後北海道所有となり児童相談所へ。別の場所に児童相談所が新設された後に再び北見市へ払い下げられます。1970年に復元工事が行われ、1971年にピアソン記念館として開館しました。
ピアソン夫妻の業績
ジョージ・ペック・ピアソンさんは、1861年にアメリカ合衆国ニュージャージー州エリザベス市で牧師の子として生まれ、1888年明治学院神学部の教師として日本に派遣されます。
アイダ・ゲップ・ピアソンさんは1862年にフィラデルフィアで弁護士の子として生まれ、1890年に米国聖公会宣教教師として来日、セント・マーガレット・女学校(現立教女学院)に務めます。
二人は、当時外国人居留地であった築地にて出会い、1895年に結婚。小樽を中心に北海道各地の教会を支援を行います。
野付牛(現在の北見市)を日本での最後の伝道地として選択、この邸宅を建て、滞在することを決意。その活動はキリスト教の布教だけにとどまらず、遊郭設置を阻止したりと様々な活動を行います。当時弱者であった女性や子供に自宅を開放して交流の場をつくり、婦人運動といった人権活動も積極的に行っていたそうです。
ヴォーリズ建築
このピアソン邸は北見市最古の洋館として知られていたものの、設計者不明でした。やがて研究が進むと、建築技師のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計と判明します。
英語教師として来日したヴォーリズは、滋賀県にて教鞭をとりつつ、近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設。その施設の建築を手掛けたことから、建築家としての道を進み始めます。
日本各地に多くの西洋建築を建てており、特に近江八幡には多くの建築が残されています。
ちなみに、ヴォーリズは一柳満喜子という日本人と結婚。日本に帰化もしており、「一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)」と名乗っていました。
アクセスと営業情報
JR北見駅・北見バスターミナルから徒歩15分。
開館時間 | 9:30~16:30 |
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休館日 | 月曜、翌祝、年末年始 |
料金 | 無料 |
公式サイト | http://www.npo-pierson.org/ |
※掲載の情報は2023年9月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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