石見銀山 Part 3 鉱山町に残る寺院『羅漢寺・観世音寺・勝源寺』(大田市)

島根県

石見銀山ラストはお寺めぐり!数多く残る寺院の中でも、羅漢寺・観世音寺・勝源寺という3つのお寺を訪ねました。創建の歴史を見ると、鉱山町の営みが少しずつ見えてきます。

訪問日:2026/5/6(水) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

胎内くぐりができる羅漢寺

清水谷製錬所跡、龍源寺間歩とめぐった後に訪ねたのが羅漢寺。 拝観時間は9:00~17:00、拝観料は500円。

ここは明和元年(1764年)に創建された真言宗の寺院。銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために、代官所役人や領内の人々が力を合わせて建立しました。

子授け、安産、知恵などのご利益があるという「胎内くぐり」も体験できます。本尊の真下をくぐり、その先には縁切り羅漢の姿。恋愛や人間関係だけでなく、病気、博打、弱い自分などの悪縁を切れるそうです。

石窟に並ぶ五百羅漢

さてさて、本堂を離れ、道路を渡った向かい側の五百羅漢。もともとこのお寺は、この石窟内に石造の五百羅漢を納めたのが始まりなのです。

岩窟をくり抜いたお堂の内部には石の羅漢像がびっしり!

表情豊かな羅漢像たちは、バンザイみたいなポーズをしていたり、頭に手を当てて参ったような顔をしていたりとバリエーション豊か。首の向きが特徴的で、天井を見上げているものもいました。内部は撮影禁止だったので、イメージとしてパンフレットの画像を載せますね。

これらの羅漢像は、現在の温泉津町福光の石工・坪内平七と、その一門によって25年かけて造られたもの。寄進された人の名前と年月日が刻まれているそうですが、見えるところには確認できず。おそらく背中か底に刻まれているのではないでしょうか。

一部、撮影可能な場所も。そこには釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の釈迦三尊像が安置されていました。

街を見渡す観世音寺

鉱山町を戻る途中に立ち寄ったのは観世音寺。江戸時代には大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願寺であったそうです。

立派な瓦葺のお堂が立つ無人のお寺。御朱印は羅漢寺にて取り扱っています。

寛政12年(1800年)におこった「寛政の大火」により焼失しており、現在の建築は万延元年(1860年)に再建されたものです。

このお寺は高い位置にあるため、鉱山町を見渡すビュースポット。瓦屋根切妻造りの家屋が並ぶ姿を一望できます!「石州瓦」による赤瓦の町並みは、この地域ならではの景観です。

静かに佇む勝源寺

レンタサイクルの料金は2時間で1,000円。それ以降は延長料金がかかります。そろそろ2時間になるので時間内に返却、この後は徒歩で勝源寺というお寺を訪ねてみました。

勝源寺は、1601年に創建されたお寺。かつて幕府直轄地「天領」であった石見銀山。このお寺は、奉行・代官の菩提寺であったそうです。

本堂は慶応3年(1867年)に再建されたもの。「内部は極彩色で、阿弥陀如来像が色彩豊かに彩られた天井の下に安置されている」とのことですが閉扉されておりました。

観光客は誰もいない、落ち着いた雰囲気。住職さんの姿も見えず、人の気配がまったくありません。

「キリシタン地蔵」や「マリア像」といった、潜伏キリシタンの遺物を安置しているということで訪ねたのですが、拝観所は閉まっておりました。内部拝観は事前予約が必要とのウワサです。

 


このあたりで、石見銀山めぐりはおしまい。今回は見送ってしまいましたが、他にも「石見銀山資料館(いも代官ミュージアム)」や「熊谷家住宅」など、見所はたくさん。1日かけてゆっくりめぐるのも良さそうなスポットでした!

ちょっと余談ですが、江戸幕府の天領であり、幕府によって本格的に整備されていった石見銀山。幕末におこった第二次長州戦争以降は、なんと長州藩によって支配されることになっていったそう。「長州藩の大きな資金源だったのかな」と思ったのですが、そのころには銀の産出量の最盛期を大きく過ぎていたため、決してメインの資金源というほどではなかったという話も。

他にも戦国時代には、毛利氏と尼子氏による争奪戦が行われたという歴史もあります。掘り下げると次々と面白そうな話が出てくる石見銀山。続きはまたいつの日にか。

この後は鳥取まで向かう予定ですが、途中で「出雲弥生の森博物館」に立ち寄ります。つづく。

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