幻の天守と埋め込まれた地蔵『大和郡山城』(大和郡山市)

奈良県

戦国時代から江戸時代にかけて活躍した奈良県を代表する城郭。筒井順慶や豊臣秀長らによって築き上げられた石垣は迫力満点。さかさ地蔵をはじめ、石垣に紛れる転用石材も見どころの一つです。

2021/9/19(日)

大和郡山城の歴史

奈良県の大和郡山市にある大和郡山城。まずは簡単にそのヒストリーを振り返ってみましょう!

安土桃山時代に戦国大名の筒井順慶が織田信長の後援を受け、大和統一を成し遂げます。そのときに築城したのが大和郡山城。順慶が築き上げた近世城郭は、その後養子である筒井定次が後を継ぐも、秀吉の名で伊賀上野城へ転封になります。(筒井順慶は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で駿河太郎が演じていた人物です。)

筒井氏に代わり、この地に入ったのは豊臣秀吉の弟である豊臣秀長。大和・和泉・紀伊三国100万石を治める際に、それに見合った本格的な城郭にするため大規模な改修を行います。

秀長が病によってこの世を去ると、豊臣五奉行の一人である増田長盛が入城。関ヶ原の戦いにて西軍に加担したため、その後は徳川家康が接収、建築物は伏見城へ移築されました。

江戸時代に入ると幕府直轄事業として復興するも、明治時代の廃城令を受けて廃城へ。近代化とともに、その役目を終えることとなりました。

追手門と櫓

立派な出で立ちの追手門。戦後、市民の手によって復元されたものとのこと。

追手門を守るために作られた追手向櫓も復元されています。櫓ではありますが、天守のような「これぞ城!」といった城郭建築なので雰囲気は抜群。

なお、追手門・追手向櫓ともに内部に入ることはできません。特にスタッフさんがいるわけでもなく、見学は自由。日本各地の多くの城郭が内部展示を行っているので、外観だけだとちょっと物足りない気もしますね。

ぐるりと一周天守台

追手門を抜けると、すぐに見えてくるのは石垣がびっしりと積み上げられた本丸・天守台

天守台は展望施設となっており入ることができるようです。しかし、周囲を堀で囲まれているため入り口は南側のみ。北東に位置する追手門からはぐるりと遠回りしないといけません。

というわけで、天守台めざしてまわりを一周。そびえる石垣はかなり立派。石を加工せずに積み上げる野面積みが、武骨な力強さを強調しています。

石垣ばかりに目が行ってしまいますが、周囲を囲む堀の規模もなかなかのスケール。かなり深く造られていたことがわかります。

天守台をメインに訪問される方は、追手門をくぐらず、追手向櫓の手前に延びている通路を進むと天守台への近道となっています。「天守台を周囲から眺めたい」という方以外は、こちらを進むのがおすすめ。

柳澤神社

天守台の入り口には鳥居が建てられています。こちらは、明治13年に建立された柳沢吉保(よしやす)を祀る柳澤神社

「忠臣蔵」では悪役として登場するため、悪い役人のイメージがある吉保ですが、徳川綱吉の側用人として活躍し、所領であった甲斐の国を大きく繁栄させました。

郡山城主でも郡山藩主でもないため、吉保自身は大和郡山との直接関係は無さそうです。しかし、その嫡男である柳沢吉里(よしさと)は、甲府から国替えで郡山城に入城。町の繁栄へ大きく貢献しました。

吉里はこの地にへ移封となった際に、金魚職人を多く連れて来たそう。その影響で大和郡山は金魚の生産地として発展。現代においても国内有数の名産地として知られており、金魚ストリートや金魚資料館といった観光資源にもなっています。

天守台展望施設

柳澤神社の奥へと進むと、石垣とそこを登る階段が見えてきます。

ついに天守台に到着!石垣の上には広々としたウッドデッキの展望台が設置されています。視界を遮るものの無い開放的なスペースで、吹き抜ける風がとっても心地良い。

目の前に広がる城山や高峰山、2つの塔がそびえる薬師寺、遠くには若草山や東大寺まで見渡せます。建物が多く立ち並ぶ現代においてもこれだけ見晴らしが良いのだから、近代以前はきっと各寺社の動きまでしっかりと監視することができたのでしょうね。

この展望施設は見学自由に見えますが利用時間が決められています。とはいえ4~9月は7:00~19:00、10月~3月は7:00~17:00とかなり長めなので、観光で訪れる分にはあまり気にならなそうです。

幻の天守閣

これだけ立派な天守台には、さぞかし豪華な天守閣が建てられていたのでしょう。勝手にイメージを膨らませたくなりますが、実際に天守があったという資料は無いため、その存在は疑問視され「幻の天守」と呼ばれていました。

しかし、平成26年の発掘調査で礎石がみつかったことにより、天守が存在していたことが明らかとなりました。展望デッキの下には、そんな発掘現場が保存・公開されており、礎石の並ぶ様子を見ることができます。

さらに礎石と同時に発掘された金箔瓦が大坂城と同じタイプであったことから、豊臣秀長の時代に築かれたということもわかりました。ただし、関ヶ原の戦い以降は解体されてしまったそう。そう考えると、天守があったのは10~20年程度とかなり短い期間になります。存在は確認されましたが、「幻の天守」という呼び名は揺るがないかもしれません。

さかさ地蔵

天守台にきたら、見逃せないのがさかさ地蔵。天守台の裏側にあるため、意識していないと見逃していまします。

卒塔婆が建てられた石垣の隙間を覗くと、頭部を奥につっこむように積み込まれたお地蔵様の姿が見えます。

豊臣秀長が100万石の城へと拡大する際、石材が乏しかったため寺院の石塔や一般家庭の石臼など、様々な石材が転用されました。このさかさ地蔵も、そんな転用石材のひとつ。

他にも、平城京羅城門跡から運ばれた礎石や、仏教遺跡である頭塔の一部も見つかっているそう。石垣をじっくり見ていると、いろいろな発見に出会えます。

アクセスと営業情報

近鉄郡山駅から徒歩7分、JR郡山駅から徒歩約15分。

車の場合は西名阪自動車道の郡山ICより約20分、第二阪奈道路の宝来ICより約20分。駐車場は追手門前にありますが、7台ほどしか停めることができません。(路駐している車も多かったです)

ここが満車の場合は、三の丸駐車場(1時間100円~)や、やまと郡山城ホール(2時間まで無料)に停めて歩いても5分ほどです。

開館時間 見学自由1 ※天守台は7:00~19:00(10〜3月は17:00まで)
料金 無料
公式サイト https://www.yk-kankou.jp/spotDetail1.html

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