弥生時代の大規模な集落があったとされる遺跡につくられた史跡公園。楼閣・環濠などの復元展示や、わかりやすい案内板も設置されており、公園を散歩しながら壮大な古代ロマンにふれることができます。
レアな弥生遺跡
日本の「原始時代」といえば、旧石器時代にはじまり縄文時代、弥生時代と続きます。ところで、それぞれ西暦何年ぐらいかってご存じでしょうか?
それぞれ区分には様々な説があるため、はっきりと言い切ることはできませんが、旧石器時代は12万年前~紀元前14,000年、縄文時代は紀元前14,000年~400年、弥生時代は紀元前400年~西暦300年くらいを指しているそう。
唐古・鍵遺跡は、奈良県内でも唯一とされる弥生時代の集落の遺跡。その面積は約42万㎡と国内最大級の規模であり、近畿地方における中心的な集まりであったと考えられています。
1999年には国の史跡に指定、現在は史跡公園として整備されて一般開放されています。早朝に訪問したのですが、お散歩している方がたくさん。憩いの場といった雰囲気の場所です。
交通量も多い町中にあるのですが、高い建物がほとんどないためこの空の広さ!さすが奈良県です。
多重環濠
「環濠集落(かんごうしゅうらく)」という言葉をご存じでしょうか?
まるごと濠(ほり)によって囲まれていた集落のことで、平たく言えば、進撃の巨人の壁に囲まれた街のイメージです。ただし、防衛のためだけではなく、水路としても利用されていました。
この唐古・鍵遺跡は、直径400mにも及ぶ大環濠が造られていおり、その一部は復元されて水も張られています。
さらに、複数の濠で囲まれる多重環濠集落でもありました。この濠は居住域を区別しており、そこには階級差があったとも考えられています。そのまんまウォールシーナ、ウォールマリア、ウォールローゼのようなイメージですね。
この環濠は、洪水などで何度か消滅していることがわかっています。しかし、そのたびに再建が行われていたそうです。
復元された楼閣
園内を歩いていると目に入るのは、こちらの展望台のような建築物。屋根の四隅などからはくるんっとまるまった装飾が飛び出しており、とってもかわいらしい。
こちらは、弥生時代の建築を再現した復元楼閣。イメージで造り上げたわけではなく、遺跡から発掘された土器に描かれていた図をもとに復元されました。
近くの案内板には、そんな土器の写真も掲載されております。たしかにくるりんとした姿で描かれていますね。
なお、この楼閣が立つのは唐古池のほとり。江戸時代に造られた農業用のため池で、周囲にはサクラが植えられています。春に訪れると、サクラとこの楼閣のコラボレーションを楽しむことができます!
大型建物跡
こちらのずらりと並んだ丸太のようなものは大型建物跡。かつてここには、大きな建築物が建てられていました。発掘調査の際には、直径60cmのケヤキの柱も出土しており、この丸太はその柱をイメージして設置されています。
この建物は、このエリアの中枢となる施設であったと考えられています。この太い柱の上には、さぞかし立派な建物が乗っていたことでしょう。
近くの案内板では、発掘された礎石と柱の並びを示した図も掲載されています。また、園内にある遺構展示情報館では、柱穴を形取りして再現した模型も展示しているそうです。
戦争遺跡
こちらの八角形のプレート。ここもまた遺跡ではありますが、これまでの弥生時代のものとは大きく異なっています。
ここは太平洋戦争の末期に高角砲の台座跡。近くに作られた海軍柳本飛行場を警備するために設置されました。かつては他にも多くの台座が置かれていましたが、現在残っているのは、ここともう一か所のみとのことです。
弥生時代をイメージしながら園内を歩いていたため、突然の昭和の遺跡の登場で急にタイムスリップしたような気分になってきました。
奈良県と言えば「空襲を免れており、戦争とはあまり関わりの無い地域」と思われがちですが、実際のところ47都道府県すべてにおいて空襲は行われております。現在もコンクリート製の防空壕が多く残っていたりと、戦争の跡はしっかりと残っております。
奈良に行く際は、古代遺跡だけでなく、近代の遺跡をめぐってみるのも面白いかもしれませんね。
アクセスと営業情報
近鉄橿原線の石見駅から徒歩20分ほど。車の場合は京奈和自動車道の三宅ICから約10分。無料駐車場がありますが、国道24号線から見ると、公園の裏手側になります。
道路を挟んで向かい側に道の駅 レスティ唐古・鍵があるので、そこから歩いてもすぐ近くです。
開園時間 | 9:00~17:00 |
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休園日 | 月曜、年末年始 |
料金 | 無料 |
公式サイト | https://www.karako-kagi.com/ |
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