徳川家康の居城として、そして出世城として知られる浜松のシンボル。当時の面影を残す不揃いな石垣や、天守台と少しずれた天守閣、そして敵軍に対してあえて門を開け放った家康の作戦など、不安定な中で成り立ってきた城郭です。
浜松城のヒストリー
元亀元年(1570年)、徳川家康がかつて存在していた曳馬城を改修したのが浜松城のはじまり。甲斐(山梨県)の武田信玄からの侵攻に備えるため、本拠地を三河からこの遠江に移し、防御を強化していました。家康は17年もの間この城を居城とし、数多くの戦をこの城から戦い抜いていきます。
家康が駿府城へ移ると一時的に豊臣秀吉の家臣が在城。このときに天守閣が造営されたと考えられています。
関ヶ原の戦い以降は、徳川家ゆかりの譜代大名が治めていくこととなりますが、江戸の初頭には天守閣は失われてしまっていたようです。
明治時代の廃城令により取り壊しが決まり、その歴史に幕を閉じることとなります。
その後、昭和になると全国でお城の再建ブームが巻き起こります。昭和33年(1958年)に天守が再建され、現在見ることができる立派な城郭の姿を取り戻しました。
天守への道のり
浜松城は浜松城公園の中にあります。浜松城公園駐車場から向かう場合は、広々とした公園内を通り抜けていきます。
出迎えてくれるのは「若き日の家康公像」。右手に持っているのはシダ。勝草と呼ばれる縁起の良い植物で、兜の前立てにもあしらっていました。
行く手を阻むのは立派な櫓門「天守門」。天守閣が無くなってからは、浜松城のシンボルとなっていた建築です。明治時代に解体されましたが、平成26年(2014年)に復元されました。
この天守門は、内部に入ることができます。ちょっとした展示室となっており、映像コンテンツや、攻めてきた敵に対して石を落とす防衛機能「石落とし」を見ることができます。
荒々しい石垣
浜松城において特徴的なのがこの石垣。ゴツゴツとした迫力のある姿をしており、非常に力強い印象です。
これは、石を加工せずに積み上げた石垣は、野面積みという技法によるもの。「打ち込みハギ」や「切り込みハギ」といった加工式の積み方に比べて、荒々しく迫力があります。
小さな石を隙間に埋めてバランスを保っており、「地震の際には、すみやかに石垣から離れてください」といった注意書きも貼られています。もしかして崩れやすいのでは・・・と思ったのですが、現時点で400年以上も保っているため、よほどのことが無い限り安心しても良さそうです。
天守門の両サイドには、周囲と比べてひときわ大きな石が使用されています。これは、権力などを誇示するためのディスプレイとして配置された「鏡石」と呼ばれています。
シックな天守閣
天守門をくぐると、目に入るのは立派な天守閣。黒と白のモノトーンの姿が青空にくっきりと映えます。地上3階建ての小ぶりな天守ではありますが、ゴツゴツとした姿はとってもかっこいいです!
この天守閣は、鉄筋コンクリートによって造られた復興天守。かつて存在したとされている天守閣に関する資料は残っていないため、福井県にある丸岡城(現存天守)をモデルとしています。
よく見ると、石垣の上に建つ天守閣は少しだけ幅がズレており、写真の左側に少しスペースが空いています。これは復興天守を造る際、予算の都合でサイズ縮小を余儀なくされたというウワサ。
城内は資料館
お城の内部は、歴史資料を集めた資料館となっています。2021年1月1日にリニューアルを終えたばかりのため、ぴっかぴか。徳川家康がテーマの映像コンテンツ、城跡から発掘された出土品、家康の甲冑(複製品)などが並びます。
3階は、浜松市街地が広がる展望台。アクトタワーがそびえる浜松市街地、三方ヶ原古戦場や浜名湖、天気が良いと富士山まで見渡すことができます。
歴代城主は次々と出世
天下を治めることとなった徳川家康の居城であったため、この浜松城は「出世城」と呼ばれています。天下を取った徳川家康があまりにも有名ですが、実は他の城主も様々な出世を果たしています。
江戸時代には25人もの城主が治めていましたが、そのうち5人は老中、2人は京都所司代、4人は寺社奉行と、様々な役職へと就いていきました。天保の改革で知られる水野忠邦もここ浜松城の城主を経験しており、その後、寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中と重役へと出世していきました。
浜松城の近くに建立された元城町東照宮は、別名”出世神社”とも呼ばれており、出世を願う人々が多く参拝しているそうです。
心理作戦・空城計
空城計(くうじょうけい)をご存じでしょうか?イチかバチかの心理作戦とも呼ばれる戦術ですが、ここ浜松城ではそれが行われたといわれています。
1573年、【武田信玄】 VS【 織田信長・徳川家康連合軍】の戦いである「三方ヶ原の戦い」が起こります。この戦いで、家康は人生最大の敗戦といわれるほどの惨敗を喫してしまいます。
命からがら戦場から浜松城へと逃げ帰った家康。壊滅状態の徳川軍は、武田軍の追手から城を守るほどの戦力がありません。そこで家康がとったとされるのがこの空城計。
通常であればしっかりと閉ざすはずの大手門をあえて開き、かがり火を焚いていました。この大胆な作戦を見た武田軍の武将は、これを罠である可能性が高いと考え、兵を引き揚げます。もし攻め込まれたら呆気なく全滅してしまうであろうこの盛大なはったり作戦が功を奏し、家康は城を守ることに成功しました。
その後、家康は犀ヶ崖に陣を構えた武田軍に夜襲を行い一矢報いることに成功したそうです。
アクセスと営業情報
浜松駅から徒歩20分ほど。バスを利用する場合は、浜松駅から乗車5分ほどのバス停《市役所南》で下車、そこから徒歩3分ほど。本数も多く利用しやすいです。
車の場合は浜松ICより約30分。市街地にありますが、駐車場はなんと無料です!
開館時間 | 8:30~16:30 |
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休館日 | 12/29, 30, 31 |
料金 | 大人200円 |
公式サイト | https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/ |
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