明治天皇が建立した唯一の神社『鎌倉宮』(鎌倉駅)

神奈川県

征夷大将軍・護良親王をまつる神社。災いの身代わりとなってくれる木の武者、お守りの獅子頭、そして親王終焉の地である土牢と、他の神社では見かけないようなモノを多く拝観することができます。

2020/7/4(土)

鎌倉宮へのアクセス

JR鎌倉駅東口4番乗り場から京急バス「大塔宮行き」で10分、バス停《大塔宮》下車すぐ。バスは1時間に3本程度運行しています。

こちらが鎌倉宮の鳥居。白がベースですが、上部の「笠木」と呼ばれる部分が赤く染められており、とても印象的。サイズもなかなかの大きさです。

護良親王を祭る神社

鎌倉時代の末期、武家中心の政治を行う鎌倉幕府から、天皇中心の政治へ戻そうと動いた後醍醐天皇。その息子にあたるのが、この鎌倉宮に祀られている護良(もりなが)親王

天台宗のトップとも呼べる天台座主を務めていましたが、還俗し後醍醐天皇のもとで活躍。征夷大将軍に任命されるも、足利尊氏と対立。捕らえられ28歳の若さでこの世を去ります。

明治天皇が建立した唯一の神社

鎌倉宮を建立したのは、なんと明治天皇!天皇中心の社会を作るために尽力した護良親王の功績を讃え、1869年に造営されました。

境内には、明治天皇の業績である教育勅語・五箇条の御誓文の碑も建てられています。

明治天皇は他にも多くの神社を建立していたのかと思いきや、どうやらこの一社だけのよう。強い思い入れがあったのか、もしくは神託を受けたのか、気になるところです。

花手水と獅子頭

手水はアジサイで彩られた「花手水」。紫やピンク、青色の花があざやかです。

花と一緒に浮かぶ朱色の木製玩具のようなもの、こちらは獅子頭守。ご祭神である護良親王が兜に忍ばせていたというお守りで、災難除け・交通安全・そして身代わりのご利益があるそう。

この割れた獅子頭、ある自動車事故の際に身代わりとなったもの。正面衝突が発生した際、フロントに祀っていたこの獅子頭が割れ、乗っていた人は無傷で済んだという逸話が残っています。

身代わりの武者

拝殿向かって右手には村上社。7月ということで、夏越の茅の輪くぐりが設置されている。左・右・左と三回くぐり抜けることで無病息災や厄除けのご利益があります。

そこには木で彫られた武者の姿。安らかな表情で合掌しているこのは村上義光という人物で、この像は「撫で身代り様」とも呼ばれています。

吉野城が鎌倉幕府軍に攻められ落城寸前の際、覚悟を決めた護良親王は別れの宴を開きました。そこに駆けつけた村上義光は既に重傷を負っていたため、護良親王の鎧を纏い、代わりに腹を切ります。義光が身代わりになったことで、護良親王一行は高野山へ落ち伸びることができました。

そんな身代わりエピソードから、この村上義光が人々の厄災の身代わりとなり、病気平癒のご利益があるといわれています。

護良親王の最期

本殿の背後にある土牢(つちろう)。足利尊氏に捕えられた護良親王が、幽閉されていたとされる穴です。

中に入ることはできませんが、木の檻から覗くことはできます。暗くじめじめとした8畳ほどの洞窟に9か月もの間閉じ込められていた親王。中先代の乱がおこった際、この場所で命を奪われてしまいます。ここが親王の終焉の地なのです。

護良親王を討ったのは足利直義の命を受けた淵辺義博。その際、首を置いていったと伝えられる場所が、この御構廟。その首の形相の恐ろしさに、ここに捨てていったと伝えられています。


このあとは、近くの蕎麦屋さんで休憩。覚園寺と瑞泉寺をめぐります。

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