雲海展望台から山を越えて向かう天守『備中松山城』(高梁市)

岡山県

長い歴史を持つ現存天守を有する山城。車道の通らない山の上にあるため、アクセスするにはちょっとした山登りが必要となります。今回は通常のアクセスルートとは異なる雲海展望台から向かってみることにしました!

訪問日:2022/5/7(土)

アクセス難易度高めな山城

備中松山城は、標高430mの臥牛山に建つ山城。そのため、アクセスがなかなかハード。最も天守に近い駐車場が鞴(ふいご)峠駐車場ですが、そこから天守までは20分ほど登る必要があります。

さらに!鞴峠駐車場までの道はすれ違い困難なほど狭いため、繁忙期などはマイカー規制がかかっております。そのため、城見橋公園駐車場に車を停めて、そこから「登城整理バス」というシャトルバスに乗り換える必要があるのです。

バスは15分間隔で運行しており、乗車には登城整理料として大人500円が必要です。

登城整理バスが運行していない時期は、マイカーで鞴峠駐車場まで登ることができるそうです。詳しくは高梁市観光協会のHPにてご確認ください。

ちなみに、備中高梁駅から天守までフルで歩くと約90分ほどとのこと。登山する気持ちで挑めば、行けない距離では無さそうです。

雲海展望台からのアクセス

と、ここまでは一般的なアクセス。今回は裏ルートとも呼べる、雲海展望台から尾根を歩いて向かってみることにしました。なぜなら、雲海狙いで早朝に到着したものの雲海が見れず不完全燃焼&登城整理バスの始発まで3時間ほど時間があったためです。詳しくは前回の記事にて。

オフシーズンでも雲海に浮かぶ姿は見れるのか?『備中松山城』(高梁市)
雲海に浮かぶ姿が天空の城として話題のお城。その光景は、雲海展望台から見ることができます。今回訪問したタイミングは、雲海オフシーズンともいえる5月。果たして雲海を見ることができるのでしょうか?

雲海展望台から天守までは徒歩30分とのこと。ちょっと長く感じますが、正面からアクセスしても登城整理バス5分+徒歩20分の計25分、バスの待ち時間なども考慮するともっと時間がかかる可能性があるためそれほど遠回りではありません。

雲海展望台の目の前の駐車スペースから、行き止まりとなる一番奥の転回スペースまで車で進みます。

入口が分かりづらいですが、向かって左奥の階段みたいな入口か、右奥の関係車両以外侵入禁止の道、どちらに進んでも同じ道につながります。

ただいまの時刻は朝6:00。山歩き用の服装に着替えたり、持ち物をまとめたりして6:22出発!

吊り橋を渡って城跡へ

最初はスギの森の中の細い山道ですが、すぐに整備された道へ。思った以上に歩きやすい道が続きます。アップダウンもそれほど多くありません。

10分ほどで大松山吊り橋が見えてきます。グリーンが美しい吊り橋です。

吊り橋からの眺めは最高!距離的には吊り橋を渡ったあたりが中間地点。もう半分きたの?って感じです。

吊り橋から先は再び山道へ。少し進むと、大池というポイントに到着。石垣に囲まれた池で、刀や首を洗ったという逸話から「血洗いの池・首洗いの池」とも呼ばれています。山城というのは水源の確保が重要なので、溜池だったのではないかなと想像が膨らみます。

一見するとなんてことない山道ですが、ここは天神の丸跡。右が本丸、間の堀切を挟んで左が出丸と考えられています。なお、ここが臥牛山の最高峰とのこと。

番所跡の先にある上り坂。ここを越えれば天守はもうすぐそこ!ラストスパートです!

歴史を感じる城郭

ついに天守が見えてきました!と思ったのですが、こちらは天守の裏の二重櫓

目を引くのは石垣。天然の岩山の上に石垣がきれいに築かれており、バランス感覚がすごいです。

二重櫓のすぐ先にあるのが備中松山城の天守。付櫓が附属する「複合式」、そして同じ形の層が重なる「層塔型」、すなわち複合式層塔型天守。江戸時代に造営されたものと考えられています。

江戸時代以前に建築された天守を「現存天守」と呼びます。全国にお城は数多く存在していますが、そのうち現存天守が保存されているのはわずか12城のみ。この備中松山城は最も天守の規模が小さいのですが、現存天守の中では唯一の山城なのです。

9:00になれば開城して天守の中を見学することができますが、ただいまの時刻はまだ朝の7:00。ここで2時間待つのはちょっと無理があるので、外観の見学のみにとどめることにしておきます。

備中松山城ヒストリー

なんとなく歴史がつまっている感じはしますが、備中松山城という名は歴史物語の中ではあまり見かけません。いったいこのお城にはどのようなヒストリーがあったのでしょうか。

備中松山城の築城年は1240年と古く、この地域の地頭となった秋庭三郎重信が城を築いたのがはじまりといわれています。

戦国時代に入ると、尼子方の庄高資(しょう たかすけ)を破って毛利方の大名である三村家親が入城、城主となります。宇喜多氏によって家親が討たれると、以後は次男である三村元親の居城として、増築されていきます。

その後、元親は毛利氏が父の仇である宇喜多氏と同盟を組んだことに反発、毛利氏を離反して織田信長へと付きます。その結果、三村 vs 毛利の備中兵乱へと発展。元親は備中松山城に籠城するも、内応により陥落。その後は毛利氏の居城となります。

明治時代に発令された廃城令によりその役目を終えたかに見えましたが、山の上という不便な土地に建っていたため解体されることなく放置されることに。その結果、現代まで天守は残り、現存天守12城に数えられています。

ここではかなりざっくりと書きましたが、実際のところ15回ほど城主が変わっています。過酷な戦国の世を渡ってきたお城なのです。

猫城主さんじゅーろー

天守のまわりを散策していると、ネコの像を見つけました。

こちらは「猫城主さんじゅーろー」。2018年より、いつの間にか住みつくようになったオス猫のことです。

像があるということは、もうこの世にはいないのでは・・・と思いきや、さんじゅーろーは現在も現役の猫城主。お城のどこかにいるため、会えたらラッキー。どうしても会いたい方は、10:00と14:00に城内見回りという名の散歩を行っているそうなので、そのタイミングを狙って訪問するのが良さそうです。

気になる名前の由来ですが、備中松山藩出身の新選組7番隊隊長・谷三十郎(たにさんじゅうろう)からとっているそう。

さて、一通り城郭の見学も終えたので、サクサク歩いて帰ります。気になる所要時間ですが、雲海展望台奥にある駐車場から天守までは片道約35分。城郭の外観見学を含めると、トータル1時間半くらいでした。次来るときは、お城に入れるタイミングを狙いたいです!といいつつ、雲海チャレンジもしたいので結局早朝訪問になってしまいそうな気も・・・・。

コメント

タイトルとURLをコピーしました