かつて京都にその名をとどろかせた大妖怪・酒呑童子(しゅてんどうじ)。武士によって討ち取られてしまいますが、その首が祀られているのここ首塚大明神。様々な伝説が残る妖怪ですが、いったいどのような人物であったのでしょうか。
細い道の先にある神社
様々な伝説が色濃く残る京都。その中でも、現代においても様々なウワサが流れるのが首塚大明神。京都に存在したとされる大妖怪・酒呑童子の首を祀る神社です。
車が無いとアクセスが困難な場所であるため、なかなか行けずにいたのですが、今回は京都に住む友人に車で連れて行ってもらうことができました!
国道9号から脇道に入っていく道は、めっちゃ細い道!!老ノ坂隧道というトンネルの東側から入りましたが、西側からの方が道幅が広く通行しやすいです。
細い道を進んだ先、通行止めとなるポイントのすぐ手前に石の鳥居が見えてきました。鳥居の手前の路肩に駐車スペースがありますが、この先を通り抜けることはできないので、どこに停めても交通の邪魔になることはなさそうです。

静かで心落ち着く境内
祠までは、少しだけ上って行きます。背の高い木々に包まれた境内は、人の気配もなく厳かな空気。

石の鳥居と木の社殿。「鬼ころし」が多数備えられており、今でも信仰が続いていることを実感します。心霊スポットとされることも多い神社ですが、嫌な感じはまったくなく、心落ち着く空間です。

祠の裏側へまわると、柵で囲われた区画が。石が積まれていますが、ここが首塚でしょうかね。

そのすぐ傍には奉納されたカエルの置物。酒呑童子とカエルの関連性はまったく見つからず、その由来は不明。東京にある平将門の首塚である「将門塚」にはカエルを奉納する信仰がありましたが、もしかしてその影響でしょうか。

酒呑童子はどんな妖怪か
ところで、酒呑童子っていったいどんな妖怪だったのでしょうか。
酒呑童子は、平安時代に京都北部、現在の福知山市にある大江山に暮らしていたとされる鬼の頭領。都にて貴族の娘を次々と誘拐するという悪行をはたらいていたため、朝廷によって討伐令がくだされます。
その命を受けたのが源頼光(みなもとのらいこう)。彼とその部下たちは山伏に扮して酒呑童子に近づきます。酒呑童子は警戒して様々な詰問をしますが、頼光はこれを見事クリア。八幡大菩薩から与えられた「神変奇特酒」という毒酒を飲ませ、寝ているところを押さえつけて首をはねて退治に成功。生首は、はねられてもなお頼光のかぶとに噛みついていたそう。
その首級を京都に運んでいたところ、老ノ坂の峠を越えるあたりで、道端の地蔵尊から「不浄なものを京に持ち込むな」というお告げを受けます。首級もそこでまったく動かなくなってしまったことから、その地に埋葬することに。それがここ首塚大明神であったそう。
一説によると酒呑童子は死に際にこれまでの罪を悔い、死後は病を持つ人々を助けたいと願ったため、「大明神」として祀られることになったそうです。その後は、首より上の病を治す神として信仰されるようになりました。
ちょっとだけ考察
このような妖怪退治のストーリーを耳にすると、後世に武士の武勇を示すために脚色されているのではないかと疑ってしまいます。源頼光の勇気と知恵を伝えるには十分すぎる話ですが、ちょっぴり卑怯にも見える手段で勝っているので、その要素は少しだけ控えめ。
気になるのは酒呑童子の正体。一族を従えている頭領というポジションや、酒好き女好きといった俗世らしい性格から、霊的な存在よりも朝廷に従わない地方の部族のリーダーであったという説がリアリティが高く感じます。
悪い妖怪として描かれることが多いですが、岡山県の「温羅(うら)」や長野県の「八面大王」と同じように、その地域では英雄であったのかもしれませんね。
酒呑童子について詳しく知りたい方は、福知山市にある『日本の鬼の交流博物館』がおすすめです。

「鬼」の正体を探りたい方は、岩手県北上市にある「北上市立鬼の館」もおすすめ。



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