海なし県で海の神を祀るのはなぜ?『穂高神社』(安曇野市)

長野県

信州安曇野の地に建つ穂高神社。清々しい空気の流れる心地よい境内には多くの見どころがつまっています。なぜか海神が主祭神であったり、おとぎ話の人物が祀られていたりと様々な伝説が多く残っています。

2021/7/23(金)

ナチュラルな社殿

安曇野市穂高にある穂高神社。日本アルプスの総鎮守とされており、交通安全、産業安全の守り神として信仰されています。

鳥居をくぐると、神楽殿が姿を現します。全面ガラス張りとなっており、少しモダンな印象の建築です。

こちらが拝殿。神楽殿と同様に塗装のない白木造りな社殿で、神紋を記した大きな白幕が清廉な姿を見せます。主祭神は穂高見命(ほたかみのみこと)綿津見命(わたつみのみこと)瓊々杵命(ににぎのみこと)の三柱。

いずれの建築も木材が生き生きとしており、非常にフレッシュな印象の神社です。
その理由は式年遷宮。この穂高神社では、20年に1度本殿一棟を造り替える大遷宮祭と、その7年後と13年後に2回の修理を行う小遷宮祭が行われています。近年では2009年に大遷宮祭、2016年に小遷宮祭がありました。次回の小遷宮祭は2022年に行われる予定です。

ステンレス道祖神

長野県を旅行していると、よく見かける道祖神の石像。悪霊や疫病が村へ入るのを防ぐために置かれた路傍の神様で、古来より道祖神への信仰が盛んな安曇野には400体以上もの道祖神があるそう。

境内には、過疎化した地域より納められた道祖神も多く並んでいます。

駐車場のすぐ近くにはキラキラとシルバーに輝く像。こちらはなんとステンレス製の道祖神。その高さは2.5m・横幅は1.6mにもおよび日本最大といわれています。

この道祖神は、平成25年に長野県の平均寿命が男女ともに日本一になったことを記念して建立されたもの。いつまでも変わらぬ輝きを願い、ステンレスという劣化しにくい素材が用いられました。

伝説① 海神とのかかわり

ところで、安曇野は内陸の山に囲まれた地域であるにも関わらず、なぜ海神である綿津見命が祀られているのでしょうか?

調べてみたところ、綿津見命は穂高見命の父にあたります。そして穂高見命の子孫は安曇氏として北九州にて海運を司っていた海人族とのこと。安曇氏の一族は日本各地に移住しており、阿積・渥美・熱海などの地名は、この安曇氏にちなんでいるとも言われています。

穂高神社の創建については不明となっていますが、この安曇氏がはるばるこの信州の地にやってきて、自分たちの先祖である穂高見命を祀ったのがはじまりと考えると凄く自然な流れです。

そんな海洋的な性格は祭事にも表れています。毎年9月に開催される御船祭(御船神事)に登場する山車は船の形をしているそう。この船型の山車を神前で曳きまわり、激しくぶつかり合わせるという迫力のある祭です。
山車というのは、その名前からもわかる通り、もともとは「信仰の対象となる山を象ったもの」とも言われています。それを船の形にしているのも、海神を祭神としていることを考えると納得です。

伝説② 才能?ラッキー?ものぐさ太郎

ものぐさ太郎の話をご存知でしょうか?何となく名前は聞き覚えがあるけど、内容はよく覚えていない…という方が多いのではないでしょうか。ということで、簡単に要約してみました。

信濃の国に寝てばかりの男がいました。あまりの怠けぶりに、人々はこの男を「ものぐさ太郎」と呼ぶようになります。
ある日、太郎は道に餅を転がしてしまいます。自分で拾うのもめんどくさいため、なんと通りかかった地頭に拾ってくれと頼みます。地頭はこれを怒るどころか逆に感心してしまい、里の人々にこの男を養うようにと命じます。

ときは流れ、この村にも朝廷から夫役が割り当てられます(夫役=労働力の提供)。人々は皆嫌がり、太郎をおだて上げてこの役にを押し付けてしまいます。
引き受けた太郎は都へ。すると、人が変わったかのように優れた才能が開花。さらに仁明天皇の子孫であることも発覚し、出世を果たして帝に仕えることになります。やがて、信濃中将となって帰郷。その後は120歳まで生きたそう。

なんというサクセスストーリーでしょうか…。細部を省いてはいますが、ほとんど苦労することなく地位と名誉を手に入れて、さらに長生きまで果たすという幸運さ。現代の感覚だと教訓も感じませんが、なんとなく平和な世の中で生まれた話のような気がします。

実は穂高神社境内にある若宮社では、このものぐさ太郎こと信濃中将を祀っています。長生きなところ、出世を果たしたところから、延命長寿・立身出世の神として崇められています。

伝説③ 犀にまたがり土地を開いた小太郎

こちらのサイのような生き物にまたがった少年の銅像は日光小泉小太郎像。この小泉小太郎は、この地を作り上げた人物としての伝説が残っています。

安曇野が湖であったころ、そこに住む犀龍と東高梨の池に住む白竜王との間に生まれたのが、この日光小泉小太郎。

しかし、母である犀龍は、小太郎を産むと自らの姿を恥じて湖の中に隠れてしまいます。小太郎は放光寺という寺で人間の子として育てられることとなりました。

成人した小太郎は母の行方を捜し出し、やっとのことで再会を果たします。このとき犀龍は「私は諏訪明神の化身です。ともにこの地を開き人が住めるようにしましょう」と告げます。

小太郎は母の背にまたがり岩山を切り開きます。当時湖となっていた松本盆地の水を排水し、平野を作り上げました。このときできた川は、犀川と呼ばれ、現在も長野県内を流れています。

小太郎の父である白竜王は海神・綿津見命であり、小太郎は穂高見命の化身とも言われています。この2柱の父子関係はよく知られていますが、母神についての記載は見たことがありません。「母は犀龍であった」と考えると、ぴたりとハマります。

しかし、物語の中で犀龍は諏訪明神の化身と名乗っています。諏訪明神=建御名方神(たけみなかたのかみ)・・・・。あれ、男の神様では・・・・。

この小太郎の話は、上田地域にも伝わっています。そちらでは、少年期に話が中心で、成長した小太郎については描かれておりません。一方、上記の松本地域の話では、少年期の部分がきれいに抜けております。2つを組み合わせれば良さそうに見えますが、上田地域の話の小太郎は怠け者の姿で書かれているため、どうにも結びつかない雰囲気です。

伝説④ 百済との外交に努めた阿曇比羅夫

こちらの船に乗っているのは阿雲比羅夫(あづみひらふ)。7世紀の中ごろに活躍した人物です。

当時日本と交流のあった朝鮮半島の国・百済へ使者として派遣されていました。天智天皇の命を受け、170隻の船を率いて百済の王子を護送したりと両国間を取り持つ外交官として活躍。

その後、新羅・唐の連合軍との戦いである白村江の戦いが勃発。百済が両国に攻められ窮地に陥ったところを、阿雲比羅夫は前将軍として多くの兵を率いて戦います。

結果は、日本・百済軍の惨敗に終わり、百済は滅亡。阿雲比羅夫もこの戦いの中で命を落としてしまいます。

現在、穂高神社の若宮社では、阿曇連比羅夫命(あづみのむらじ ひらふのみこと)として信濃中将(ものぐさ太郎)とともに祀られています。毎年9月に行われる御船祭りは阿曇比羅夫の命日であるとされているそうです。

アクセスと営業情報

JR大糸線の穂高駅から徒歩3分。車の場合は長野自動車道の安曇野ICから約10分ほど。無料の駐車場を備えています。

なお、穂高駅は神社風の建築でとても立派な姿をしています。電車で訪問される際は、駅にもご注目ください!

<余談>
一点気になるのは、「穂高見命は太古の昔に穂高岳に降臨した」と伝わっているということ。安曇氏のルーツである神様が実際に穂高岳に降臨したとなると、安曇氏は穂高岳→北九州→安曇野と、往復していることになります。もちろん長い月日が経てばこれくらいの移動はあり得るとは思いますが、少し違和感が残ります。

こういった伝説は、全くの空想ではなく何か関連することがあったのではないかと考えるととっても面白い。安曇野の地にまでやってきた安曇氏が穂高岳にて何かを見つけ、それを結び付けて信仰の原点とした、と考えるととてもナチュラル。例えば「隕石の落下跡を降臨の地ととらえた」みたいなことがあったのかもしれません。

※この降臨説は穂高神社公式HPの御由緒には記載されていません。もしかしたら信仰する人々の中で生まれた俗説に近いものかもしれませんね。

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