諏訪大社③ 社殿の向きに隠された謎『上社本宮』(諏訪市)

長野県

諏訪湖の南部・諏訪市にある上社本宮(ほんみや)は、大きな木々に包まれた重厚な神社。本殿が無いところは他の宮と同じですが、拝殿の向きと御柱の並び順が独自の配置となっています。なぜこの宮だけ他と異なっているのでしょうか?

2021/7/24(土)

本殿の無い上社本宮

二社四宮と呼ばれる4つの神社から構成される諏訪大社。下社の春宮と秋宮の二宮は諏訪湖北部の下諏訪町にありますが、上社の本宮と前宮は諏訪湖南部の諏訪市・茅野市に建っています。

「本宮」という名前からここが最も社格が上位かと思いがちですが、二社四宮は同格とされています。そのため、参拝する順序も特に決められていません。

この本宮も下社春宮・秋宮と同様、拝殿・幣殿はあるのですが本殿にあたる建築がありません。これは、本宮の御神体は守屋山であるからだそう。また、明治以前は諏訪明神の血をひく大祝(おおほうり)という神職こそが現人神として崇めれていたためともいわれています。

拝殿および幣殿には近づくことができないため、参拝所よりお参りします。左右に片拝殿があるところは下社と同様です。

境内で見つけたもの

こちらは明神湯というあっつあつの温泉の手水。同じく温泉手水である秋宮では龍のデザインでしたが、こちらは獅子をモチーフにしています。

この立派な銅像は、雷電為右衛門という幕末に活躍した力士。茅野市出身の彫刻家である、矢崎虎夫氏の作品です。近くには、原寸大の手形も貼られており、その体躯の大きさを実感できます。

こちらは祈祷を行う勅願殿諏訪明神の御神霊が宿るといわれる守屋山に向かって建てられています。(←この後出ます)

本宮境内のフシギ

境内案内図を見てみると、いろいろと不思議なポイントが見つかります。

(画像の下が「北」、上が「南」となります)

①西向きの拝殿
気になるは拝殿の向き。通常の神社では参道を直線に進むと拝殿に向かうことができるのが一般的ですが、ここでは、横に進んで参拝することになります。これは、先述の通り御神体である守屋山を向いているという説や、本宮より前からあったという上社前宮を向いているという説など諸説あります。(現在は駐車場があるため画像下の北参道から入るのが一般的ですが、本来は画像左側の門が正しい入り口とのこと。コの字状に進むというなおさら不思議な参拝順路になります。)

あれ・・・?さきほどの勅願殿が「守屋山を向いている」とのことでしたが、拝殿とは違う方向のはず。地図で見てみると、拝殿は全然守屋山を向いていません。上社前宮は方角的にはあっていますが、本殿からは少しずれているような気もします。

②御柱の位置
下社春宮・秋宮では、宝殿の四隅を囲むように建てられていた4本の御柱。この上社本宮にも御柱が立っているのですが、境内全体を取り囲むようにとても広い間隔で建てられています。

さらに!下社春宮・下社秋宮・上社前宮では、拝殿(本殿)に向かって右手前が一之御柱・左手前が二之御柱・左奥が三之御柱・右奥が四之御柱となっています。しかし、ここ上社本宮では、拝殿に向き合うと右手前が四之御柱・左手前が一之御柱・・・と何故か他の宮とずれています。

さてさて、2つの不思議を挙げてみましたが、仮に①で指摘した拝殿の向きを北(地図の下)に向けると、拝殿は守屋山を向き、御柱の並びは他の宮と同じ配置に。仮定ではありますが、びっくりするほどきれいに解決してしまいます。

これはもしかして、何か理由があって拝殿の向きを変えたのではないでしょうか・・・?

神仏習合と廃仏毀釈

そんな「拝殿の向きが変わった説」を後押ししてくれそうなのが神仏習合。日本古来の神道と大陸よりもたらされた仏教を融合させた信仰で、奈良時代頃からはじまりました。
各地の神社には神宮寺が建てられ、「大日如来=天照大神」といったように仏教と神道の神様を同一と考える本地垂迹説も広がり、2つの宗教の境目は無くなってゆきます。この独自の信仰は、明治時代に神仏分離令が発令されるまで、およそ1000年に渡り続くこととなります。

日本各地に広がったこの信仰、もちろんこの信州にも伝わり、諏訪大社でも神仏習合が行われました。境内にはかつての建造物を示した地図が掲示されていました。

神仏分離令にともなう仏教排斥運動・廃仏毀釈によってほとんどの伽藍は取り壊しとなりましたが、神宮寺をはじめとした非常に多くの仏教建築が建てられていたことが見て取れます。現在の拝殿のすぐ先には「お鉄塔」も建てられていました。

ここでポイントとなるのが、仏教建築は地図の左側に集中していること。これは方角で言うと東側、つまり現在の拝殿に向かって立つとその奥に広がる形になります。

これはもしかして、神仏習合に伴い、信仰の対象が守屋山から仏教の神へ変化、拝殿の向きをそれに合わせて変えたのではないでしょうか・・・?

さてさて、きれいにまとまったのでこのあたりでクローズといきたいところですが、まったく裏付けがありません・・・!それに、なぜ東側に寺院建築が並んでいるのかも不明です。

神長官守矢資料館の記事のときもそうでしたが、調べても調べても確証が持てないのが諏訪の信仰。これまで多くの神社についての記事を書いてきましたが、ここまで沼のような感触ははじめてです。細部に至るまで、断定されることを拒むかのように様々な説が広がっており、何か意図的に史実を簿化しているかのようにすら思えてきました。

ここまで書いた内容は、専門家ではない私が空想交じりで考えた拙文。出典も曖昧なので、もし興味がある方はぜひご自身で調査してみてください・・・!

諏訪大社① 重厚な建築が並ぶ神域『下社秋宮』(下諏訪町)
下諏訪温泉街に建つ下社秋宮は、立派な建築が楽しめる情緒あふれる神社。4本の御柱はもちろん、精巧な彫刻、巨大な注連縄、青銅の狛犬、温泉が湧きだす手水など見どころも豊富。市街地や駅にも近く、二社四宮の中で最も参拝しやすいです。
諏訪大社② 2つの流派の腕比べ『下社春宮』(下諏訪町)
砥川沿いに建つ下社春宮は、小規模ながらも非常に存在感のある神社。歴史ある建築が並ぶ境内は、静かな空気が流れます。近くには御柱祭を体感できる博物館「おんばしら館よいさ」や、ユニークな姿をした「万治の石仏」もあります。
諏訪の古代神の血を引く一族『神長官守矢史料館』(茅野市)
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アクセスと営業情報

JR中央本線の上諏訪駅からバスで約30分。車の場合は諏訪ICから約5分。無料の駐車場があります。

500mほどのところには諏訪市博物館があります。諏訪大社の祭事である御柱祭の迫力ある映像など、諏訪大社および諏訪信仰に関連する展示が豊富で、参拝と合わせて訪問すると、より知識が深まります。

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