災いを乗り越え街を見守る寺院『大須観音(宝生院)』(名古屋市・中区)

愛知県

火災や戦災といった苦難を経て今なお大須の街に立つ寺院。境内には扇や人形、さらには歯を供養する塚も。穏やかな空気が流れる、憩いの場のようなお寺です。

訪問日:2024/11/24(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

大須を見守る寺院

中区大須に建つ北野山真福寺宝生院は、大須観音の名で親しまれている寺院。東京都台東区の浅草観音、三重県津市の津観音とともに日本三大観音にも数えられています。

仁王門をくぐり、境内に入るとすぐに目に入るのが御本尊である聖観音を安置する本堂。高い位置にあるため、街を見守っているような佇まい。地元の方が次々と参拝に訪れており、地域の人に親しまれている印象です。

この本堂は大悲殿とも呼ばれています。「大悲」というのは観音菩薩のこと。「大きい悲しみ」ではなく、観音様の「大きな慈悲の心」を表しており、このような字が当てられています。

本堂向かって左手にある普門殿は、十二支・干支の守り本尊を奉るお堂。金色に輝く仏像がずらりと並ぶ様は圧巻でした。

ここは真言宗智山派の別格本山の寺院。境内には真言宗開祖である弘法大師修行像も建立されています。

長い歴史と大須文庫

1190年〜1199年の建久年間に現在の岐阜県羽島市に建立された中島観音がルーツであるそう。1324年にその地に北野天満宮が建立されると、神社を管理するための別当寺として建てられた「真福寺」とその塔頭である「宝生院」がはじまり。

1612年に徳川家康の命により犬山城主・成瀬正成が大須の地に移転。江戸時代には五重塔も建てられていましたが、火災により本堂などとともに焼失。本堂と仁王門は再建されるも、太平洋戦争の名古屋大空襲により再度焼失。1970年に鉄筋コンクリートにて再建され、現在に至ります。

長い歴史を持つ真福寺は多数の古典籍を所蔵しています。「古事記」の最古写本をはじめとした4点の国宝や、40点にも及ぶ重要文化財を含むその数はなんと15,000冊。宝物館があるわけではないため展示物はありませんが、その凄さを体感するには充分過ぎる数字です。

この貴重な図書を収蔵する「真福寺文庫(大須文庫)」は、京都の仁和寺・和歌山の根来寺の文庫と合わせて「本朝三文庫」とも呼ばれています。1612年にこの地に移転したのも、所蔵する貴重な書物を水難から守るのが目的であったそうです。

多数の石碑と供養塚

境内には多数の石碑や塚が建てられています。この大正琴碑は、郷土芸能『大正琴』発祥の地の記念碑。毎年9月9日にはこの碑の前で「大正琴大祭」を開催、500人を超える愛好家によって大正琴が演奏されるそうです。

こちらの2人の童子が寄り添うような石碑は人形塚。写真で見るよりも大きく、その高さは2m以上あります。ここは人形を納め供養する場所。毎年10月第1木曜日にはこの碑の前で「人形供養祭」が執り行われるそうです。

舞踊などにご愛用された扇を奉る扇塚もあります。毎年11月第2土曜日にはこの碑の前で「扇供養祭」が開催。

それぞれの塚に祭事があるというのが、長年信仰が続いている証ですね。

珍しい歯の塚

まるでアート作品のような塚もあります。こちら、何塚かわかりますでしょうか。

正解は歯歯塚。抜けてしまった歯と、古くなった入れ歯を納める塚です。塚の周りには、人間の歯上下28本を象徴した花崗岩が28個並べられています。

この塚でももちろん祭事があります。毎年8月8日、この碑の前で「歯歯塚供養祭」が行われるそう。ということは、歯歯塚(8月)、大正琴碑(9月)、人形塚(10月)、扇塚(11月)と、8〜11月は毎月祭事が執り行われているのですね。

ふと思ったのですが、歯歯塚供養祭の8月8日って、もしかして語呂合わせでは・・・。年のため8月8日の記念日を調べてみたところ、「歯並びの日」でした。語呂合わせベースか記念日ベースかはわかりませんが、とっても覚えやすいですね!

 

大須観音の直ぐ側にあるのが大須観音通りの商店街。入口には、ご存知名古屋名物味噌カツで知られる「矢場とん」があります。ここは「昔の矢場とん」というお店で、串カツや豚角煮などの食べ歩きメニューが。

朝イチの訪問だったのでオープン前でしたが、日中に訪問される際は、ぜひ御当地の味を食べ歩きしてみてくださいね!

アクセスと営業情報

名古屋市営地下鉄・鶴舞線の「大須観音」駅2番出入口からすぐ。

開門時間 24時間
料金 無料
公式サイト https://www.osu-kannon.jp/

※掲載の情報は2024年11月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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