日本各地に飛び散ったとの伝説が残る殺生石。そのうちの一つが福島県の猪苗代町にもあるらしい・・・。わずかな情報を頼りにたどり着いたその場所には、2つに割れた巨石が鎮座していました。
殺生石とはいったい何?
猪苗代湖の北側、「アクアマリンいなわしろカワセミ水族館」のすぐ近くには殺生石と呼ばれる石があります。殺生石というのは、近づくものの命を奪うといわれる石。かつて中国や日本を荒らしまわった大妖怪・九尾の狐と深い関わりがあります。
大陸から日本に渡った九尾の狐は「玉藻前(たまものまえ)」と名乗り、鳥羽上皇に取り入って寵愛を受けていました。しかし、陰陽師である安倍泰成(安倍晴明の5代目の子孫)によってその姿を見破られ、上総介広常・三浦介義純ら武士の活躍により那須まで追い詰められます。
すると九尾の狐は巨大な石に変化。毒気を放ち、近づくものの命を奪う殺生石へと変貌します。誰も近づくことのできない存在でしたが、1385年には玄翁(げんのう)和尚という人物がこれを破壊。その破片は各地へと飛散していきました。
ここ猪苗代にある殺生石も、そんな破壊された殺生石の一部であるそうです。
アクセス難易度は高め
殺生石のありかを示す案内板はまったくありません。もちろんGoogle map先生も教えてはくれません。
「伝·玄翁石」のピンの南側を横に伸びる猪苗代塩川線(県道7号線)からは入口が見つからず、ピンの東側の住宅地へ。Map上では道がありませんが、いざ現地に行ってみると、家と家の間に道が延びており、殺生石の方向に向かっています。
ということで、行ってみることに!未舗装の砂利道をゆっくりと進んで行きます。
左手にお墓をが見えたら、すぐ先に木の棒が立っています。このあまりにも地味な木の棒が、ほぼ唯一の目印。何か書かれているようですが、もう読むことはできませんでした。
近くのスペースに車を停めて、イガグリだらけの道を少し歩くとそれっぽい石が見えてきました!
多くのWebページには「見つけるのが困難」と書かれていましたが、迷うことなくあっさり見つかりました。11月の訪問であり、草木があまり茂っていなかったのが幸いだったかもしれません。
隠された殺生石
こちらが猪苗代の殺生石。幅4m、高さ2mくらいの大きな岩です。
周辺には案内板も柵もありません。知らない人が見ても、ただ大きな岩が転がっているようにしか見えないような状態です。しかし、そんな隠された感じが逆にリアルに感じます。
辺りは植物が生い茂っていますが、石のまわりだけキレイに生えていない。誰かが手入れしているでしょうか。・・・・もしかして、まだ殺生石には力が残っていたりするのかもしれません。
どきどきしながらちょっとだけ触ってみました。もう殺生能力は消えているようで、特に何も起こりませんでした。
2つに割れた姿
石には大きな割れ目が入っています。「源翁和尚が杖で石を一喝」したときに入った割れ目でしょうか。でも、落ち着いて考えると、一喝されて割れた殺生石の破片のうちの1つがこの石なので、それがさらに割れているのはちょっとおかしい気もします。
Google Mapのクチコミによると、復活を恐れた玄翁和尚がさらに割っていったという話も。
なお、金槌のことを「玄能」「玄翁」(げんのう)と呼ぶことがありますが、これはこの和尚に由来しているそうです。
各地に残る殺生石
冒頭にて各地に飛び散ったと記載しましたが、実際に日本各地に殺生石とされる石が残されています。
福島県内でもここ以外に、喜多方市の濁川の近くに1つ、白河市の常在院というお寺に1つ、そして会津美里町には殺生石の欠片を御神体とした「殺生石稲荷神社」があるようです。
おそらく最も有名なのは那須湯本温泉の殺生石。温泉街にあり、観光地化されているため多くの人が訪れています。
こちらの写真は2021年10月訪問時に撮影したもの。その後、2022年3月にはこの石が真っ二つに割れてしまったそう。まるで封印が解けたかのような姿になっているようです。
遠く離れた岡山県の真庭市にも殺生石が残されていました。
また、京都府京都市の「真如堂」には、殺生石で造られたという伝説が残る鎌倉地蔵があるそうです。もしかしたら他の場所にも、あなたの近くにも隠されているかもしれませんね。
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