開拓とともに歴史を歩んできた神社『北見神社』(北見市)

道東

北見がまだ野付牛と呼ばれていた明治時代に建立された神社。屯田兵によって祀られ、現代まで多くの人々の信仰を集めています。境内には多数の石碑が置かれており、様々な歴史を物語ります。

訪問日:2023/9/29(金) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

北見を守る神社

オホーツク地方最大の都市、北見。かつてはハッカの生産によって繁栄、現在はタマネギや焼肉、カーリングのまちとしても知られています。道東における各社の支所があることから、駅前には多数のビジネスホテルが立ち並び、そのすぐ近くには繁華街も広がるちょっと大人の雰囲気を感じる街です。

そんな北見駅より徒歩10分ほどのところには北見神社が建立されています。

参道と石段を越えた先に鎮座する社殿。御祭神は「天照大神」「住吉大神」「豊受毘賣神」の三柱。朝8:00頃に訪問したところ、地元の方が数名参拝にきておりました。

開拓とともに祀られた歴史

この神社は明治時代に北海道に派遣された屯田兵と深い関わりがあります。

屯田兵というのは、平時は土地の開拓を行い、有事の際は軍隊として戦うという役割を持った兵。南下してくるロシアに対する「国防強化」や、明治維新後に職を失った旧武士を救済するための「士族授産」などの目的で編成されました。

1897年に屯田歩兵第四大隊がこの地に移駐するにあたり、小泉正保(こいずみ まさやす)大隊長が現在の位置より少し離れた野付牛(のつけうし)公園に護国神社を造営して天照大神を祀ったのがはじまり。

その後、海上守護神たる住吉大神を合祀、日露戦争終戦後の1905年に現在の場所へ遷座されます。1921年には「野付牛神社」に、1942年には野付牛町が北見市に改称されたことを受けて「北見神社」へと社号が変わります。

境内の見どころ

手水舎に掲げられた木札は食前食後感謝の歌。短歌集「玉鉾百首」にて本居宣長が詠んだ歌で、食前・食後に唱和して天照大御神と豊受毘賣神に感謝するためのものであるそう。

二宮金次郎の像も置かれています。かつては全国の小学校に置かれていたという銅像、きっと令和の時代だったら「子供に労働させるな」とか「歩きながら本を読むのは危険だ」といった内容で炎上してしまいそうです。

こちらの不思議なカタチの石は亀甲石。吉兆長寿の御利益があるそうです。

狛犬も複数置かれていましたが、そのうちの一つが非常に凛々しくてかっこいい姿でした。

立ち並ぶ多数の石碑

この神社の特徴の一つが、設置された多数の石碑。最初の鳥居をくぐった参道から、社殿の傍まで随所に様々な内容の碑が建立されています。

こちらは国歌「君が代」の碑。国旗・国歌法制化を記念して、2000年に豊受毘賣神合祀五十年記念事業として建立されました。すぐ側には、歌に出てくる「さざれ石」も置かれています。

2016年に御創祀百二十年記念として建立された教育勅語の碑。原文に加えて読みやすい現代語訳、そして要点ともいえる12の徳目が刻まれています。

タマネギのえぞみくじ

「えぞみくじ」をご存じでしょうか?北海道各地の神社でいただくことができるご当地おみくじで、2023年時点では全部で15種類。

それぞれ各地の名産品などがモチーフになっております。ここ北見神社のえぞみくじは、「福多招(ふくたまねき)みくじ」。全国屈指の生産量を誇るタマネギの姿をした可愛らしいおみくじです。

ちなみに他の地域では湯倉神社(函館市)の「イカすおみくじ」、美瑛神社(美瑛町)の「富諸来し(とみもろこし)」、網走神社(網走市)の「福が来るよね(クリオネ♪)みくじ」など、かなりユーモアあふれる仕上がり。これは集めてみたくなりますね・・・!

アクセスと営業情報

JR北見駅から徒歩約10分、車ならば約5分ほど。

開門時間 境内自由
公式サイト https://kitamijinja.com/

※掲載の情報は2023年9月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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