三万年のヨコハマの歴史を体感できるミュージアム『横浜市歴史博物館』(横浜市)

神奈川県

狩猟を行っていた原始時代から、横浜港が開かれて発展してゆく近現代まで、長い長い人の営みを学ぶことができる歴史ミュージアム。横浜ならではの展示も多く、ジオラマやレプリカで見やすく工夫されています。

訪問日:2024/3/16(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

港北ニュータウンの博物館

1995年にオープンした横浜市歴史博物館。横浜の中心部からは少し離れた、横浜市営地下鉄ブルーラインの「センター北駅」にあります。

大きく立派な建物。1階はエントランスホールとショップ、2階が受付となっています。

広いホール上の展示室。原始、古代、中世、近世、近現代と区切られて展示が広がっています。いずれも程よいボリュームなので、歴史の流れを感じながら楽しむことができます。

映像作品を上映する「歴史劇場」も備えていますが、訪問時は休止中でした。また、ユニークな企画展を開催しているときもあるようです。

狩猟で暮らす原始時代

まずは原始時代からスタート。来館者を出迎えるのは立派な牙が迫力あるナウマンゾウの頭蓋骨(複製)。20,000年前の氷河時代、ナウマンゾウヤベツノジカが暮らしており、人々はこれらの動物を狩猟することで生活していました。

やがて土器が出現、時代は縄文時代へと切り替わります。博物館のある都筑区内の遺跡から出土した縄文土器がずらり。手前の土器は、火にくべられ、貝が煮込まれています。土器の利用がイメージしやすい展示です。

博物館の近くにある「南堀(みなんぼり)貝塚」のジオラマ。1955年、発掘調査が開始。50軒以上もの竪穴住居跡や貝塚、お墓の跡が見つかります。館内にはそこから出土したシカの角でできたモリや装飾品なども展示されていました。

ちなみにこの発掘調査は縄文時代のムラ全体を発掘するというものであり、全国初の試みであったそう。また、多くの市民も参加するという画期的な調査であったとのことです。

稲作定住、古墳の築造、国の誕生

やがて稲作が伝わり、人々は定住して生活する弥生時代へ。弥生時代中期には横浜市域には多くの人が移住、人口が急激に増加します。こちらは「大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡」のジオラマ。博物館のすぐ傍のにある遺跡で、現在は復元住居が並んでいます。実際に訪問してみるのもおすすめです。

こちらは鶴見区の上台遺跡から出土した人面付土器(複製)。ひょうたんみたいなユニークなシルエットと、それに反した険しい表情が不思議な魅力を放ちます。

力を付けた地域の首長のための大きなお墓・古墳が造られるようになり、古墳時代へ。ずらりとならぶ埴輪は、そんな古墳にて被葬者とともに埋葬された副葬品。「上矢部町富士山古墳」から出土した埴輪は、前面に大きな盾を持っていました。

時は進み、律令という法のもとに国家が造られる奈良時代へ。今で言う「県」にあたる国が置かれ、さらにその中に複数の群が置かれました。やがて人々は国を守るために武装、武士団が形成されていきます。農業の発展のための馬と鉄はそのまま武力へと切り替わっていくのでした。

戦乱を越えて泰平の世へ

武士の時代となる中世。鎌倉幕府が開かれ鎌倉時代になると、武蔵国・相模国の武士は全国に派遣され、地頭としてその地を管理していきます。磯子区あたりを拠点としていた平子(たいらこ)氏は周防国(山口県)や越後国(新潟県)の地頭を務めます。こちらは周防国仁保荘(山口市)に出向いた「平子重経坐像」

室町時代の半ばになると横浜村が誕生、ついに「横浜」という名が生まれます。最初にその表記が現れる文書の複製が展示されており、スイッチを押すと「横濱村」の文字がライトアップします。

江戸時代になり泰平の世が訪れると、人々のエネルギーは戦いから耕地の開発へと向けられるようになります。こちらは「吉田新田」開発のジオラマ。江戸の商人である吉田勘兵衛によって11年かけて開発されました。約7kmという堤防を造る大工事、多くの人が協力して土木工場を行う様子が描かれます。

街道が整備され、東海道の通る横浜には神奈川宿がにぎわいを見せます。「桜屋」という茶屋と東海道を行き交う人々を表したジオラマでは、スピーカーからは人々の話し声、さらに照明が徐々に切り替わり昼から夜へと変わっていきます。

横浜港とともに発展する近現代

江戸時代末期、1859年に横浜は開港。イギリス波止場とフランス波止場が造られます。こちらはイギリス波止場の復元模型。様々な物資や技術がここから上陸していき、国内の生糸や茶も多く輸出されていきました。

様々な商店な1つの建物に集まった勧工場(かんこうば)。伊勢佐木町にあった「横濱館」も、そんな勧工場のひとつで、西洋雑貨や時計の店、洋食屋などが入っていたそうです。建物の前の道では、赤子を背負ったおばあさんや人力車、外国人の夫婦が通る姿が見えます。

マネキンで再現された伊勢佐木町通りの風景。勧工場、飲食店、芝居小屋、寄席などが400軒も集まり、「日本一の繁華街」と呼ばれていたそう。

赤子を背負ったおばあさんや人力車、外国人の夫婦が通る姿が見えます。あれ、先程の勧工場のジオラマと同じシチュエーションを再現している・・・?

じっくり見たので1時間30分ほど滞在していましたが、さらっと見るだけなら30分程度でも大丈夫そうです。さて、このあとは歩道橋を渡って大塚・歳勝土遺跡公園へ行ってみます!

アクセスと営業情報

横浜市営地下鉄ブルーライン・グリーンラインの「センター北駅」下車後、徒歩5分ほど。

開館時間 9:00~17:00
休館日 月曜
料金 400円
公式サイト https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/

※掲載の情報は2024年3月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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