港町として大いに栄えた横浜の町。そのきっかけとなったのが、ペリー来航からはじまる横浜開港のストーリー。そんな歴史物語を読みやすいパネルや資料で、今に伝えるミュージアム。資料館が建てられたこの場所も、歴史的に非常に重要な場所なのです。
海岸通りの資料館
山下公園や大さん橋近くに建つ横浜開港資料館は、幕末から昭和にかけての横浜の歴史や町の発展に関する資料を展示したミュージアム。開港百年を記念して編纂されたという「横浜市史」をもとに、1981年に開館。40年以上の歴史を持つ老舗の資料館です。
入館料は200円とかなりリーズナブル。館内には明治から昭和時代まで出版された新聞を揃えた閲覧室や講堂も備えています。
定期的に特別展も開催されており、2023年1月28日(土)~3月12日(日)の期間は「幻の写真家 チャールズ・ウィード 知られざる幕末日本の風景」を開催予定とのことです。
横浜開港の歴史
ペリー来航からはじまる横浜港の開港の歴史がパネルで紹介されています。江戸幕府が描いた黒船やペリーの絵も掲載されており、イメージしやすい内容。
アメリカと日米和親条約を結んだことにより開国した日本は、続く日米修好通商条約によって、函館・新潟・横浜・神戸・長崎の5港を開港。日本と諸外国の貿易が開始されます。
展示室内は写真撮影禁止だったので、パンフレットの写真をイメージとして掲載させていただいております。
貿易都市として発展する横浜
開港とともに各地より商人が集まり、賑わいを見せる横浜のまち。外国人居留地もできあがり、どんどん発展していきます。2階の展示室では、そんな発展した横浜の町の様々な資料や模型が並びます。
新橋と横浜をつないだ鉄道の「横浜駅舎」の模型、日本で2番目に造られた鉄橋、伊勢佐木町と馬車道をつなぐ「吉田橋」、関東大震災で崩壊してしまった「横浜市庁舎」模型などなど。
立体的な展示が多く、小規模ながらも非常に見ごたえがあります。
シンボルのたまくすの木
中庭にそびえるのは江戸時代より生えているという玉楠(たまくす)。この樹は、開港の歴史にも関わってきます。
まず、鎖国の終わりを告げた日米和親条約の締結もこの木のそばで行われたそう。さらに、ペリー来航を描いた記録画にもその姿が記されています。
こちらはペリーと同行してきたハイネという画家が描いたペリーの絵。いちばん左側の後ろ姿は、右手に木の枝を持っています。これが玉楠の木の先祖とも。
1866年の慶応の大火、そして1923年の関東大震災で火災により焼失するも、そのたびに根本から芽を出して成長していったそう。復興のシンボルでもあったのではないでしょうか。
歴史ある記念ホール
中庭の先には記念ホールもあり、建物の一部が見学可能となっています。
通路に飾られたレリーフは薩英戦争記念銘板。横浜在住のイギリス人が、薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念してつくったものだそう。
なぜ開国資料館で薩英戦争なのでしょうか?実はこの記念ホールの部分は、昭和6年(1931年)に英国領時館として建てられたものだそう。外から見ると、重厚感あふれる外観。この建物は、『貿易立国の原点』横浜港発展の歩みを物語るとして近代化産業遺産にも指定されています。
合わせて見たい開港広場公園
資料館の裏手には開港広場公園があります。ベンチや噴水があり、憩いの場といった雰囲気ですが、ちょっとした史跡を見ることができます。
ガラス窓で展示されているのはレンガ造りのマンホール。明治15年に築造されたもので、公園の整備中に発見されたままの場所で保存されています。
こちらは旧居留地90番地の大砲。スイスの商社であるシーベルブレンワルト商会の跡地より掘り起こされたカノン砲。当時、使わなくなった大砲を錨に変えていたとのことですが、関東大震災によって埋まってしまったのではないかと考えられています。
「日米和親条約締結の地」と書かれた碑。この条約によって開国した日本。近代化のはじまりはここからといっても過言ではないのかもしれません。この開港資料館が建つ場所は開港と深く関わりのある場所なのです。
アクセスと営業情報
みなとみらい線の日本大通り駅から徒歩2分、JR線の桜木町駅から徒歩20分、市営地下鉄の関内駅から徒歩15分。
シルク博物館、横浜税関資料展示室、横浜都市発展記念館などが徒歩圏内なので、ミュージアムめぐりも楽しめます。
開館時間 | 9:30~17:00 |
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休館日 | 月曜、年末年始 |
料金 | 200円 |
公式サイト | http://www.kaikou.city.yokohama.jp/ |
※掲載の情報は2023年1月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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