奥州市にある角塚古墳は、日本で最も北にある前方後円墳。畑の真ん中に残されており、墳丘には一本のスギの木がそびえています。人を襲う大蛇の伝説が残されており、その話は角塚という名前の由来にもなっています。
目印の一本杉
角塚古墳は、交通量の多い道路沿いにあります。車からでも眺められる、いわゆる「ドライブスルー古墳」です。
墳丘には高くそびえる立派な一本の杉は、なかなかインパクトのあるルックス。見た目そのままに「一本杉」とも呼ばれることがあるそうです。
すぐに墳丘に登れそうに見えますが、道路側からは溝があるため入れません。脇道から回り込み、畦道を進むことで近くまで行くことができるのです。
謎多き古墳
この古墳は5世紀〜6世紀初頭の築造といわれています。
昭和49、50年の範囲確認調査によって、葺石や円筒埴輪をともなう古墳であることが確認されました。その際に、イノシシやニワトリの形をした形象埴輪と考えられる破片も見つかっているそうです。
墳丘の発掘調査は行われていないため、埋葬者はわかっておりません。すぐ近くの中半入(なかはんにゅう)遺跡からは大規模な集落が見つかっており、角塚古墳の埋葬者はこの集落の王であったのではないかと考えられています。
最北の前方後円墳
墳丘の長さは約45メートル。扁平なので数値よりも小さく感じます。
墳丘の形式は、前方後円墳。円墳と方墳を組み合わせた、鍵穴のような形をした古墳です。
この角塚古墳は岩手県で唯一の前方後円墳。そして、日本最北端の前方後円墳でもあります。ふーん、と流してしまいそうですがこれがなかなか重要な情報!
前方後円墳は、畿内を中心としたヤマト政権下の地域に見られる古墳のスタイル。この地に前方後円墳があるということは、ここ岩手県の南部にまでその支配が及んでいたとも考えられます。ヤマト政権について研究する上では、非常に重要な古墳なのです。
ちなみに、前方後円墳が発見されていない都道府県は、北海道・青森県・秋田県・沖縄県の4県だけだそう。また、畿内にほど近い淡路島からも見つかっていないそうです。
大蛇にまつわる伝承
この古墳には伝説が残されています。
かつてこの地には高山掃部(たかやま かもん)という長者がおり、その妻はたいそう強欲であったそう。やがてその妻は口が裂け、角の生えた大蛇となり、馬や若い娘をさらい、農民たちを苦しめはじめます。
あるとき大蛇は「馬や娘をさらわれなくなかったら毎年8月15日の夜に15歳になる娘を差し出せ」と提案してきました。村人たちは話し合った結果、松浦の国(現在の長崎・佐賀のあたり)より小夜姫という若い娘を買ってきて生贄にすることにしました。
来たる8月15日の夜、身支度を整えた小夜姫の前には大蛇が出現。小夜姫は恐怖に負けずお経を唱え続けたところ、なんと大蛇の角がバラバラと落ち、みるみるうちに人間の姿に戻っていったそう。
そのときの角を埋めたことから、「角塚古墳」という名前になったと言われています。
また、この伝説のおかげで「古墳を壊そうとすると祟りがある」と恐れられることになり、現在まで古墳が取り壊されずに守られてきたとも考えられています。
こういった話を耳にすると、「もしかして、古墳を守りたい人が考え出した創作なのでは」と勘繰ってしまいます。でも、そうだとしたら1,000年以上に渡り守られてきているので、びっくりするほど大成功ですね!
角塚古墳公園
道路を渡って反対側には、角塚古墳公園という公園があります。小さな公園ですが、池や東屋もあって凄く落ち着ける雰囲気。古墳をイメージした小さな丘も造られており、一本杉の代わりに石碑が建てられています。
墳丘のような丘のまわりには、たくさんのハニワたち。柔和な表情を見ていると、なんだか気持ちが和みますね。
角塚古墳公園には、大蛇の角をイメージしたモニュメントも建てられています。この角は、なんと「有田焼」でできているそう。「松浦の国」との縁を感じずにはいられません。
アクセスと営業情報
車の場合は東北自動車道の奥州スマートICから約8分、JR水沢駅から約15分ほど。
前述の角塚古墳公園に駐車場があり、数台停めることができます。ただし、この公園駐車場の入り口は少しわかりにくいため、うっかり通り過ぎてしまう可能性があります。左手に古墳が見えてきたら、少し速度を落として右手に見える入り口を見逃さないように・・・!
(目の前に角塚公園前というバス停がありますが、平日のみで1日4本。公共交通機関でのアクセスは、少々難易度高そうです。)
迷うような道ではありませんが、角塚古墳公園から角塚古墳の墳丘までの道案内も載せておきますね!
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