中尊寺や毛越寺のある平泉の中心部から少し離れたところに建つ達谷窟毘沙門堂。世界遺産からは外れておりますが、インパクトのある建築や巨大な摩崖仏など見どころがわかりやすく人気の高い寺院です。
平泉を代表する寺院
岩手県の平泉町に建つ達谷窟毘沙門堂は、金色堂で知られる中尊寺や、庭園が美しい毛越寺と並び、平泉を代表する寺院の一つ。
その創建はおよそ1200年前。悪路王らの蝦夷の討伐に成功した坂上田村麻呂が、勝利は毘沙門天の加護と信じ、その記念にと毘沙門天を祀った岩窟がルーツと言われています。
大将軍である坂上田村麻呂は、その後に神と信仰され、その本地を毘沙門天とする「田村信仰」がはじまります。
懸造の毘沙門堂
拝観料を支払い境内へ進むとすぐに見えてくるのは大きな毘沙門堂。岩肌に埋め込まれるかのように造られたお堂はなかなかのインパクトです!
このように柱を使って崖や谷など高低差のある土地に造られた寺院建築を「懸造(かけづくり)」と呼びます。奈良の長谷寺や京都の清水寺などが有名ですね。
このお堂は火災などにより何度も焼失しており、近年では昭和21年に全焼。現在のお堂は昭和36年(1961年)に再建された五代目となります。
堂内へは自由に入ることができますが、写真撮影は禁止。静かな空間には、多数の仏像を安置しています。”最強の御札”と称される「牛王寶印」もあります。
巨大な岩面大佛
毘沙門堂の傍にある巨大な岩の壁。左上をよく見ると、顔のような彫り込みがあります。
こちら、高さ16.5m・顔の大きさは3.6mにもおよぶ巨大な摩崖仏。大日如来あるいは阿弥陀如来と考えらえれており、源義家が「前九年・後三年の役」で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために馬上より彫りつけたといわれています。
かつては体の部分もあったそうですが、明治29年に地震の影響で胸より下が崩落、顔だけになってしまったそう。
蝦蟆ヶ池辯天堂
毘沙門堂の目の前には蝦蟆ヶ池(がまがいけ)という小さな池があります。そこに浮かぶのが辯天堂。
その昔、美しい「浮嶋」がおりましたが、慈覚大師はこれを五色のガマの姿をした貪欲神が化けたものだと見破ります。大師はガマを捕らえて毘沙門堂の前まで引き、逃げ出さぬように白蛇である宇賀神王を冠した八肘の辯財天を祀ったのがはじまりだそう。
ところで、「浮嶋」というのは人の名前でしょうか?それとも、特定の人を指す言葉だったりするのでしょうか。もしご存じの方いらっしゃいましたら教えてください・・・!
神仏習合の寺院
さて、こちらの寺院ですが、境内には鳥居が建てられています。もしかして、お寺ではなく神社なのでしょうか?
かつて日本では「神仏習合」という神道と仏教を習合した考え方が一般的であり、神社とお寺は同一として考えられていました。明治時代より神仏分離が行われ多くの神社と寺院が分かれていきましたが、この達谷窟毘沙門堂では神仏習合時代の面影が残されているのです。
辯天堂で祀られている辯財天も、仏教の神である弁財天と神道の神である宇賀神が習合した姿である「八肘の辯財天」でした。
現在、別当は達谷西光寺であることから寺院と呼んで差支えはなさそうですが、境内をめぐりつつ神仏習合の面影を探してみるのもこの達谷窟毘沙門堂の楽しみ方の一つです。
アクセスと営業情報
平泉駅から約6km、車ならば約10分ほどの距離です。路線バスも運行していましたが、2022年10月時点では運休中。
バスが無い場合は、タクシーで約10分、もしくは駅でレンタサイクルを借りて他の寺院・史跡と合わせて訪問するのもおすすめです。
開門時間 | 3/19~11/3:8:00~17:00 11/4~3/18:8:00~16:30 |
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料金 | 大人500円 |
公式サイト | https://iwayabetto.com/ |
※掲載の情報は2022年10月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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