「越後の都」と呼ばれた上越市。その中枢を担っていたのが、広大な面積を誇っていた高田城。徳川家康による国家プロジェクトとして築城されたこの城には、どんな意味があったのでしょうか。
休館日:月曜
料金:300円 ※歴史博物館とセットで620円
徳川の国家プロジェクト
徳川家康は、息子である松平忠輝を越後の国に配置しました。これには加賀の前田家への抑えであり、佐渡からの金銀輸送路の確保などの意向があったといわれています。
そのとき上杉家の居城であった春日山城は廃城となっており、堀氏が建てた福島城へと入城しました。
しかし、家康は福島城をすぐに廃し、新しく高田城の築城を命じます。 忠輝の義父にあたる伊達政宗を中心に、周辺の大名たちに命じてつくらせた「天下普請(てんかぶしん)」、すなわち国をあげての築城プロジェクトでした。
完成した高田城は、58ヘクタールという巨大な城郭であったそう。全国的に見ても、かなり大きい城だったのではないでしょうか。
何のために造られたのか
高田城を造ったのは松平忠輝のため。ここまでは良いのですが、気になるのは「何故できたばかりであった福島城を廃し、新しく高田城を作ったのか」ということ。
これにはいくつかの説が唱えられています。
・諸大名に普請を命じることで経済的圧迫を加えて力を抑えるため。
・北前船が運ぶ塩などを信濃国に運ぶ北国街道を強化するため。
・完成直後に豊臣家との最後の決戦である大坂冬の陣を起こしたので、ここを抑えることが天下を取るために重要なピースだった。
どれも決定的な証拠があるわけではありませんが、壮大な天下普請を行うほどなので、きっと複数の思惑があったのではないでしょうか。
再現された三重櫓
現在、高田城跡にはほとんど遺構は残っておらず、中学校や図書館、陸上競技場など様々な施設が入っています。そんな片隅に、当時の面影を感じさせてくれるのがこちらの三層櫓。1993年に復元されたものです。
物凄く立派な出で立ちですが、こちらは櫓。真っ黒な城郭は、まるで天守閣のように堂々とそびえています。
三層櫓の内部
三層櫓は内部見学も可能となっています。館内は、歴史資料や解説パネルが並ぶ博物館。まるで新築のようにぴかぴかで、ツヤツヤの床と木の香りが心地よい空間です。
最上部は展望台。ガラス窓付きの屋内型なので雨の日でも安心です。
窓から外を見ると、目に入るのは張り巡らせれた幅広い堀。姫路城や熊本城にも引けを取らない巨大な面積の城郭だった面影をわずかに残します。
合わせて歴史博物館も
三層櫓から徒歩3分ほどのところには、上越市立歴史博物館があります。共通券もあるのでセットでの訪問がおすすめです。
休館日:月曜
料金:510円 ※三層櫓とセットで620円
越後を代表する3つの城、高田城・春日山城・福島城や、城下町としての高田の歴史などを学ぶことができるミュージアム。デジタルコンテンツやジオラマなどで、とてもわかりやすい展示内容です。
江戸時代後期に外国船に備えて国防を強化していたことや、幕末の戊辰戦争で3つに別れた高田藩、明治時代の高田事件で使用されたとされた覆面など、知られざる歴史の1ページも紹介されています。
雪国の暮らしに焦点を当てた民俗コーナーでは、雪下駄や蓑に加えて手作りスキー板の展示も見ることができます。
この後は、上越を代表するもう1つのお城、春日山城へと向かいます!今回の旅の最後の目的地です。
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