難攻不落の山城はなぜ滅びたのか『春日山城跡』(上越市)

新潟県

かつて上杉氏が築いた山城。山上に広がる広大な敷地を前にすると、戦国時代の雄・上杉家の力をひしひしと感じます。山道とはいえ1時間ほどでひとまわりできるので、意外と気軽に散策できます。難攻不落というコトバがぴったりはまる名城は、なぜ消滅してしまったのでしょうか。

営業時間:見学自由
料金:無料
訪問日:2020/7/29(水)

春日山城跡へのアクセス

新潟県上越市にある春日山城跡。最寄り駅はトキ鉄・妙高はねうまラインの春日山駅ですが、徒歩だと40分もかかります。頸城(くびき)バスのバス停《中屋敷》、またはバス停《春日山荘前》からなら徒歩15~20分ほどでアクセスできます。

車の場合は上記の地図で示した春日山神社下駐車場がおそらく最寄りの駐車場。無料で30台ほど停めることができます。

山がまるごと城郭に!

高田城三層櫓内にあった復元図

「越後の龍」とも呼ばれた上杉謙信の居城として有名で、標高189mの春日山をまるごと城郭にした難攻不落の城。

もともとは南北朝時代に築かれた城郭ですが、謙信の父・為景、謙信、そして景勝と3代に渡り普請(ふしん=土木・建築工事)が行われ、壮大な山城が完成しました。

春日山城跡に城郭の遺構は全く残されておりません。春日山城跡を見学する場合は、かつて建築があった場所に思いを馳せる、そういった想像力が大切です。

天守・本丸跡含めた見学所要時間は約50分ほど。駐車場から考えると1時間もあればぐるっと一回りできます。

まずは春日山神社へ

春日山城跡のスタートは春日山神社。神社の入口にトイレ付きの無料駐車場があります。境内までは135段の石段がそびえる。ここで怯んでいては山城攻略は叶いません。準備運動がてら、気合い入れて登りましょう!

石段を登るとすぐに春日山神社の拝殿が見えてきます。神明造のこの神社は、上杉謙信を祭っています。周辺にはお土産屋さんが数件並んでおり、ちょっとひと休みもできます。

天守への道のり

石垣の上に立つ上杉謙信の銅像。この銅像のすぐ近くに観光案内所があります。おじさんがルートや見所などをさらっと解説してくれるので登山前に立ち寄るのがおすすめです。

しばらくはアスファルトで整備された道が続きます。歩きやすいですがひたすら斜面が続くため、アキレス腱が少し疲れてきました。

途中からはちょっとした山道に変わり、すぐに三の丸に到着します。北条氏康の7男で、謙信の養子となった景虎の屋敷がありました。景虎は、謙信の跡目争いに負けてこの世を去ります。

続いて二の丸。本丸の警護として造営されたと考えられております。遺構はほぼありませんが、かつて建造物があった場所には解説板と碑が建てられているため、見逃すことはなさそうです。

気が付けばそれなりの高さまで登ってきています。雲の中を歩いているような、幽玄な雰囲気が漂います。

天守跡と山頂に湧く井戸

ついに本丸&天守台に到着!目の前には広がる絶景が・・・!

霧で何も見えません。

目を凝らすとうっすらと市街地が見え、かつて謙信もここから城下町を見渡していたのでしょうね。

天気が良いと日本海まで見渡せるそうですが、今日は一面真っ白な世界。なお、謙信銅像からここまで15分ほどでした。

天守閣跡の裏に降りていくと柵に囲まれた直径10mにも及ぶ巨大な穴が空いています。

こちらはなんと井戸!なんと、山の上に井戸があるのです。雨水のため池ではなく、サイフォンの原理(灯油ポンプのあれ)で水が湧いているそう。中を覗くと、本当に水が溜まっている様子を見ることができます。

ここからは下り道。登ってきた道とは違うルートで帰ります。

お花畑を越えて春日神社へ

下りルートに入ると、すぐに屋根付きの休憩所。天守&本丸のある山頂には何もないので、一休みするならここがおすすめ!

謙信が信仰していた毘沙門天を祭る毘沙門堂が見えてきます。毘沙門天は悪魔を降ろす神といわれており、自軍を降魔の軍として旗印に「毘」の字をかざしていました。

次のスポットは「御花畑」。突如現れるファンシーな響きにびっくり。上杉家にはお花を愛でる趣味があったのでしょうか?いえ、戦国時代の城郭というのは機能性重視。きっと何か戦の役に立つような植物を育てていたのではないでしょうか。

気になったので案内所のおじさんに尋ねてみたところどうやら薬草を育てていたのではないかと考えられているそうです。

お次は直江屋敷。謙信の父・為景の時代から上杉家に使えていた直江家の屋敷です。特に大河ドラマにもなった直江兼続の活躍は有名ですよね。

かつて千貫門が建てられていた場所。侵入者から防衛するための空堀などの遺構が残ります。

深い森の中の道を下ると、春日山神社につながります。ぐるっとまわって約50分の道のりでした。

難攻不落の城のその後

これだけ立派なお城、そう簡単に攻め落とされることは無いはず。しかし、なぜ何一つ建築が残っていないのでしょうか。

これまでいくつかのお城を巡ってきましたが、日本のお城が無くなるときは以下の4パターンのいずれかに当てはまることが多いです。

①攻め落とされ取り壊された
②地震や火災などの災害で倒壊した
③江戸時代の一国一城令により取り壊された
④第二次世界大戦の空襲で焼かれた

しかし、春日山城はこのいずれにも当てはまらないようです。

この城を治めていた上杉景勝は、豊臣秀吉の命で会津へ加増移封となり越後を離れることになります。
その後、堀秀治・堀忠俊の親子が入城するも、春日山城は政治には不向きであったため、新しく福島城という城を海沿いに築城します。これに伴い、春日山城は廃城となってしまったのでした。

想像以上にあっけない終わり方です。時代は天下統一、そして戦のほとんどない江戸時代へと切り替わる頃。堅牢な城も、時代の変化には勝てなかったようです。


上杉謙信についてはそれほど詳しくないのですが、さすが謙信の居城というべき、圧巻の城跡でした。

これにて、新潟→富山→石川→福井→石川→富山→新潟とめぐった北陸7日間の旅もおしまい。一気に関東まで帰ります!

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この記事を書いた人
chihiro

国内旅行が大好き!車中泊やLCCを駆使して、離島と水族館は100以上・神社仏閣は300以上訪問。都道府県はあとちょっとで3周完了。スケジュール詰め込みがち。実はプログレとソウルが好きなベーシスト。

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