チビチリガマとともに戦争の歴史を今に伝える洞窟。沖縄戦の際には1,000人を超える人々が避難したとされています。投降を呼びかけるアメリカ軍に対して、このガマに逃げ込んだ人々がとった選択は・・・
読谷村のガマ
ガマというのは沖縄の自然洞窟のこと。かつては風葬の場所とされていましたが、その多くは沖縄戦の際に舞台となりました。
今回ご紹介しますシムクガマは、沖縄本島の中部・読谷村(よみたんそん)にあります。座喜味城跡や残波岬、やちむんの里など、落ち着いた観光スポットが多く集まるエリア。
前回の記事で紹介したチビチリガマから約1kmほどのところにあります。すぐ近くにある2つのガマですが、その命運は大きく異なっていました。
難しめのアクセス
シムクガマは、観光地として整備されているガマではありません。そのため、入り口は非常にわかりにくいです。グーグルマップに地点登録されているため見つけやすいかと思いきや、そのポイントは道がつながらない森の中。どの方向からアクセスできるのかわかりません。
とりあえず近くまで来てみました。周辺をうろうろして道を探していたところ、こちらのカーブミラー手前で左に下る坂道があやしい。
進んでみたところ、「シムクガマ」と書かれた白い小さな看板が見えてきました。
草むらからすぐに森の中へ。舗装されていない道ですが、草木はしっかりと避けられており、手入れされていることがわかります。
森の中の大洞窟
すぐに大きな洞窟の入り口が見えてきます。このシムクガマは中に入ることができます。
内部に照明はありませんので本気で真っ暗です。中を見学するにはライトを持参する必要があります。
中を進んでみると、石碑と香炉を見つけました。きちんと手入れされている姿からは、今でも人が訪れている事を感じます。
さらに奥へと進めるようですが、さすがに外の明かりの届かない部分まで行く勇気はありません。
このシムクガマは総延長2.5kmという大きなガマ。約1,000名もの人々が避難していました。
ガマの運命は
上陸したアメリカ兵によって投降を呼びかけられます。すぐ近くのチビチリガマでは、米軍=鬼畜と信じていました。敵の手にかかるくらいならと、お互いに命を奪い合う集団自決という凄惨な決断をとってしまいます。その結果、避難していた139名のうち、82名がこの世を去ってしまいました。
しかし、こちらのシムクガマではなんとアメリカ兵の投降に応じます。そのため、1,000人もの人が捕虜として生き残りました。
すぐ近くのガマで、なぜこれほどまで異なった選択を取ることになったのでしょうか。
決め手となったのは
米軍を鬼畜とする考えは、ここにいた人々も同じ。なぜこのシムクガマの人々は投降に応じたのでしょうか。
そこには、このガマに避難していた比嘉平治さんと比嘉平三さんという2人の人物が関わってきます。
それぞれ当時72歳、63歳というこの二人の老人は、もともとハワイ移民であり海外経験がありました。英語を話すことができ、「アメリカ人は命を奪わない」と自決に迫る避難者を説得。この2人の尽力によって1,000人もの人の命が救われたのでした。
明暗が分かれた2つのガマの運命。ここから学ぶことはいったい何でしょうか。
英語を話せたというのは非常に重要なスキルであったのですが、それ以上に重要だったのは「鬼畜米英」といった戦時下における洗脳に抗う心、敵国の兵も人間であるという理解、そして奮い立つ人々を止める説得力なのかもしれません。
コメント