「忠臣蔵」でお馴染みの赤穂義士48人を供養する『泉岳寺』(泉岳寺駅)

東京都

討ち入りで有名な赤穂浪士に縁が深い曹洞宗の寺院。境内では関連するポイントが多く、48人を供養する墓所も見学可能です。あれ、赤穂浪士は47人ではなかったでしたっけ?

開門時間:7:00〜18:00(※10〜3月は17:00まで)
拝観料:無料
訪問日:2020/7/11(土)

泉岳寺へのアクセス

京急線の泉岳寺駅から徒歩2分ほど。JRの高輪ゲートウェイ駅からも7分ほどでアクセスできます。

両祖を祭る寺院

歴史を感じる木造の山門。上がることはできませんが、2階部分には十六羅漢像が安置されているそう。

山門の先には、すぐに本堂が構えます。本尊の釈迦如来に加えて、曹洞宗の宗祖・道元(どうげん)瑩山(けいざん)、大石内蔵助の守り神であった摩利支天などが祭られています。旧本堂は空襲で焼失してしまい、昭和28年に再建されたものとなります。

ここで気になるのは、宗祖として道元と瑩山の2人の僧が並んでいること。「曹洞宗の宗祖は道元」と歴史の教科書に記されていましたが、瑩山とは何者なのでしょうか。気になったので調べてみました。

日本で曹洞宗を開いたのは道元ということに間違いはないのですが、その際道元は宗派を名乗っていなかったそう。自らの持ち帰った教えを「正伝の仏法」とし、宗派という概念を否定していたのです。
道元の入滅後、次第に禅宗へと傾倒し、第4祖にあたる瑩山が「曹洞宗」という名を用いるようになったそう。

曹洞宗の原型を開いた道元を宗祖と呼びたいところですが、本人は宗派を否定している・・・そのため、この二者を合わせて「両祖」という形でお祭りしているそうです。

こちらは澤木興道(さわきこうどう)老師像。遠い昔の禅僧かと思いきや、なんと20世紀に活躍した禅僧の方でした。禅を貫いたその思想は、海を越えアメリカへも伝わっていたそうです。

赤穂義士の討ち入り

この泉岳寺は、赤穂事件とも所縁が深いお寺です。この事件は資料も多く、様々な人の手によって研究がなされています。掘り下げるとディティールがくっきりしていきますが、できるだけシンプルに内容をまとめてみます。

事件の発端

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)が江戸城松之大廊下にて吉良上野介(きら こうずけのすけ)を斬りつけたことに端を発する事件。時の将軍・徳川綱吉は場所を弁えず刀を抜いた浅野内匠頭を怒り、切腹を命じます。また、浅野家も取り潰されてしまいます。その一方で、刀を抜かなかった吉良上野介はお咎めなしでした。

家臣たちの動き

これに対して、浅野家の家臣である赤穂義士達は、家老である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を筆頭に抗議。しかし、武力による抵抗は得策ではないと判断し、居城である赤穂城を幕府に引き渡します。吉良上野介への仇討ちのタイミングを待つことに。

ついに討ち入りへ

吉良上野介茶会を開くという情報を受けて、ついに赤穂浪士47人が討ち入りを決行。元禄15年12月14日の明け方、2時間という短い時間で、また赤穂浪士側は誰一人欠けることなく吉良上野介の首を討ち取ることに成功します。

事件の結末

討ち入りを終えた赤穂義士たちは、泉岳寺へと向かいます。浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え、討ち入り達成を報告。その後、幕府は赤穂義士たちに切腹を命じ、赤穂事件は幕を引きます。

その後

この事件を基にした「忠臣蔵」は歌舞伎や人形浄瑠璃にて上演され、人気の作品となりました。内容も脚色され、義を重んじる部分が強調され、忠義者のストーリーとして広く知れ渡ることに。赤穂浪士も主君に対する義を重んじる「赤穂義士」と呼ばれることになります。

47+1人の墓所

泉岳寺の境内には、討ち入りに参加した赤穂義士47人の墓所があり、一般人でも見学することが可能となっています。切腹した義士たちは、この地に埋葬され供養されました。

びっしりと並ぶ墓石。誰のものかわかるように、きちんと案内板も設置されています。

討ち入りに参加した47人のうち、寺坂吉右衛門という人物は途中で姿を消しています。直前になって逃亡した説や、足軽という身分であったため外されたという説、また関係各所へ連絡をする広報役であったためという説など様々な理由が考えられていますが、真相はわかっていないようです。

この吉右衛門は、その後の幕府から赦されており、83歳まで天寿を全うします。曹渓寺に葬られることとなりましたが、この墓所にも彼の供養碑は用意されていました。

また、実際に数えてみると、ここには48の墓碑があります。これは、討ち入りへの参加を希望していたにも関わらず周囲からの反対に合い同行できなかった萱野三平(かやのさんぺい)という人物のもの。同志との約束を果たせなかったことを侘び、討ち入りより前に自刃してしまいます。ここでは、そんな彼も他の義士たちと並び眠っています。

随所に感じる赤穂義士

墓所以外にも、赤穂義士に関わる見どころが多い境内。こちらの井戸は、通称「首洗い井戸」と呼ばれています。赤穂義士が運んできた吉良上野介の首級を洗ったとされている場所です。

義士への鎮魂のために設置された水琴窟もあります。柄杓で掬った水を壺に流すと、澄んだ音色が聴こえてきました。

墓所の近くには赤穂義士記念館もあり、47人の木像や義士の遺品などが展示されています。入館は16:00までとなっており、今回は時間が間に合わずでした。

また、12月と4月の年に2回、赤穂義士祭も開催されています。討ち入りの装束を身にまとった人々が、吉良上野介邸宅跡地から泉岳寺まで練り歩く「義士行列」も行われているそう。


赤穂義士事件は調べれば調べるほど、細かいエピソードや謎な部分への考察が次々と出てきます。幼少期に本で読んだため記憶があいまいな「忠臣蔵」も、改めて見てみたくなりました!

ちょっと気になるのが、歌舞伎で扱う場合、登場人物多すぎませんか・・・?

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この記事を書いた人
chihiro

国内旅行が大好き!車中泊やLCCを駆使して、離島と水族館は100以上・神社仏閣は300以上訪問。都道府県はあとちょっとで3周完了。スケジュール詰め込みがち。実はプログレとソウルが好きなベーシスト。

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