伊達政宗の命を受けた慶長遣欧使節を乗せてヨーロッパへ向かったガレオン船「サンファンバウティスタ」。再現されたその雄姿は、大津波を越えて、今も石巻のシンボルとして存在感を放っています。
船のミュージアム
江戸時代(1613年)に造られた木造ガレオン船「サン・ファン・バウティスタ」を復元保存しているミュージアムです。海辺にある洋風庭園のサン・ファンバウティスタパーク内にあり、シチュエーションも良好な博物館です。
休館日:火曜、年末年始
料金:350円
圧巻のサン・ファン・バウティスタ
まずはサン・ファン・バウティスタを見に行きます!入り口からバウティスタへ向かうにはながーいエスカレーターを下ります。このエスカレーターがなかったら、かなりの高低差を上り下りしなくてはいけないので、非常にありがたい。
まるで海賊船のような立派なガレオン船が見えてきました!
この船は、仙台藩主・伊達政宗が、仙台に滞在していたスペイン人セバスティアンビスカイノの協力を得て造り上げた、当時の世界レベルの木造船です。
老朽化で内部は立ち入り禁止となっているため、外観のみ見学となります。印されているのは伊達家の家紋、九曜紋。ゴールドの配色も相まってとても船のデザインに馴染んでいる気がします。
よく見ると小さい金の龍がいます。これは船の前後に設置された阿吽の龍。後側しか見えませんが、前にも付いているそうです。ナンバープレートのように掲げられた「石巻市」の文字がちょっとだけコミカル。
ミュージアムで知る慶長遣欧使節
サン・ファン・バウティスタは、伊達政宗が支倉常長一行をヨーロッパへ派遣した慶長遣欧使節のために造られた船。この使節の目的は諸説あります。政宗の書状には、「キリスト教の布教、メキシコとの通商が目的」とされているそうですが、スペインと軍事同盟を結び倒幕しようとしたといった陰謀論ような説もあります。
ミュージアムではパネルやロボットでその当時の様子をリアルに再現しています。
一行が最初に一行が到着したのはアカプルコ。ヨーロッパへ向かうのになぜメキシコ!?
当時、ヨーロッパへ向かうには太平洋を越えて、アメリカ大陸を渡るというルートがとられていました。航空機の発達した現在とは感覚が違いすぎます。
サンファンバウティスタは、最終的にはフィリピンのマニラで買収され、スペインの正規艦隊に編入されます。
その後の行方はわからず、日本へ帰ってくることはなかったそう。
館内のサンファンシアターでは、サン・ファン館の紹介、そして遣欧使節団についてわかりやすい映像で見ることができます。毎時10/40分、上映時間は20分と気軽に見ることができるのもポイントです。
東日本大震災の記録
館内の展示で印象的だったのは、震災のときの様子が写真や映像で紹介されている「東日本大震災の記録」。
サンファンバウティスタは津波を大きく受けたものの、なんと壊れることなく持ちこたえたそう。さすがレプリカとはいえ太平洋を越えた船、津波には負けませんでした。
しかし、その1ヶ月半後の強風によりマストが損壊してしまいます。
こちらは被災した模型船。あえて修復せずに、そのままの状態で展示・保存されており、船乗りたちもずっと転んだままです。
実は大津波は江戸時代にも起こっていました。
それは慶長16年、サン・ファン・バウティスタが建造される2年前に起こった慶長三陸津波。
家々を飲み込み甚大な被害をもたらしたといわれる大津波。波が引いた後も塩害を残し米の収穫ができなくなってしまったといいます。
伊達政宗の野望と思われた遣欧使節ですが、そんな津波の災害から立ち直るための施策であったのではないかとの見方もあるそうです。
そう考えると、巨大で輝かしいサン・ファン・バウティスタは今も昔も復興のシンボルとして人々の心の支えになっていたのではないでしょうか。
余談ですが、私にとってここは念願のスポット。
2012年に立ち寄った際は震災の影響で休館中、2015年に寄った際は臨時休館中。そして2018年、ついに再訪するときがきました!
しかし、今回もサン・ファン・バウティスタ号への乗船は叶わずです。またいつかサン・ファン・バウティスタが復活したら再訪したいと思います!
そう思っていたのですが、2021年3月末を持ってサン・ファン・バウティスタ号の公開は終了となるとのこと!現在も老朽化により内部非公開状態は続いているので、乗船の夢は潰えてしまいました。
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