伝説が残る無数の横穴『長岡百穴古墳』(宇都宮市)

栃木県

国道の傍らにひっそりとたたずむ遺跡。穴だらけの外観はインパクト抜群。かつては古墳として造営されたといわれるこの横穴には、弘法大師こと空海や百目鬼という妖怪など、様々な伝説が残されています。

2021/2/19(金)

突然あらわれる穴

宇都宮環状道路の一部となっている国道119号線。交通量が多く、飲食チェーンも多くにぎやかな印象な道路の傍らに、穴だらけの光景が突然現れます。

こちらは、長岡百穴古墳という名の県指定史跡。7世紀前半に造られたとされる横穴式の古墳で、全部で52基が確認されています。

夕暮れの訪問だったため、訪れている人はほとんどおらず、まるで国道とは切り離された別世界のような印象のスポットです。

岩を登って穴の中へ

横穴はぎっしりと集まっているため、面積は想像よりもずっとコンパクト。ひと目で全貌が見渡せるため、見学だけなら5分もかかりません。

百穴は自由に探索ができるようです。岩場は平らで無いところも多いため、じっくり見学したい方は、歩きやすい靴・動きやすい服装で来るのがおすすめ。

穴の奥行きは1〜2mほど。中に入って外を見ると、次々と通り抜ける車が視界に入ります。

この横穴が掘られている岩は長岡石と呼ばれる凝灰岩。軟質なため掘りやすいのですが、その分強度に欠けるため、破損が多くみられます。かつては扉石があったと考えられていますが、その面影は残っていません。

この穴の目的は?

古墳、すなわちお墓であるため、この穴はもともとは埋葬地でした。近くには瓦塚古墳などの立派な前方後円墳があるため、こちらの百穴は身分が低い人が埋葬されていたと考えられています。

また、崇神天皇の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が東方征伐の際、戦いで命を落とした家来を葬ったとの伝説も残っています。
ただし、この話は紀元前のできごと。現在推定されている古墳の築造年7世紀前半とはかなりずれているため、あくまで伝説の範疇のエピソードかもしれません。

なお、豊城入彦命は現在の栃木県である下野国(しもつけのくに)、現在の群馬県である上野国(こうずけのくに)を開いたとされる人物です。宇都宮二荒山(ふたらさん)神社の御祭神としても祀られています。

各穴に安置された石仏

穴の中には石仏を多く見かけました。これらは室町時代から江戸時代に彫られたものとされています。

通常、持ち物や衣など姿形でどんな神様か推定できるのですが、風化が激しいため特定はなかなか困難。

この石仏には弘法大師こと空海にまつわるストーリーが残されています。
かつてこの地に訪れた空海は、草木が生い茂り荒れ果てた横穴墳墓を整え清めたそう。その際に、各穴に観音像を刻んだといいます。

実際のところ、空海が活躍していたのは平安時代。石仏が作られたとされる室町時代からは大きく離れているため、この石仏は直接の作品ではないかもしれません。とはいえ、栃木県には空海に関わりのあるとされる場所が多く存在しているため、何かしら関係はあったのではないでしょうか。

穴が並ぶ岩肌には、百穴観音堂も建てられています。こちらは比較的新しいもののようです。

伝説が残る百目鬼

長岡百穴古墳について調べていると目に入ったのは「百目鬼」という言葉。この地に伝説が残る妖怪で、「どうめき」と読みます。

伝説によると、かつてこの百穴には百匹の鬼が棲んでいたそう。それらを束ねていた鬼は、ある日「鬼をやめたい」と思い、本願寺というお寺へと向かいます。仏門に帰依したことで、人間に生まれ変わることに成功。かつて、匹のの頭であったことから「百目鬼(どうめき)」という名で呼ばれていたそう。

そんな百目鬼の名は、地名としても残っています。現在も宇都宮市の塙田に「百目鬼通り」という名の道があるそう。

他にも、「百の目を持つ妖怪で、藤原秀郷に退治された」という話もあるようです。

アクセスと駐車場情報

宇都宮駅からバスで15分のバス停《豊郷台入口》で下車後、徒歩15分ほど。周辺には他にも古墳や遺跡が多く集まっており、「豊郷まほろばの道」という散策路が整備されています。

また、駐車場はかなり広く50台くらい停めることができそう。休憩しているドライバーも見かけたので、ひと休みスポットなのかもしれません。

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