違和感すら覚える真っ白な姿、そして八角形というレアな形状から独特な魅力を放つ古墳。すぐそばにて発見された越塚御門古墳と合わせて紹介させていただきます!
圧倒的な存在感
多数の古墳が点在する奈良県。その中でもひときわ個性的なのが牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。
田園風景を進んだ先、丘の上に突如現れるのは、真っ白く整った姿。まるで不時着した宇宙船のようにも見えますが、これは復元された古墳の墳丘。
この古墳は八角形の「八角墳」。多くの方が古墳ときいてイメージする「前方後円墳」とも、「円墳」や「方墳」とも異なる姿。いったいどのような古墳なのでしょうか。
レアな八角墳
八角墳は、7世紀中頃という古墳時代の末期に造られた古墳。上方下方墳の上段が八角形に変わり、そのまま下段も八角形に変わることでできあがったともいわれています。その姿から、江戸時代や明治時代には「あさがお塚古墳」との記載もあるそうです。
このような八角墳は、全国では10基程度見つかっております。奈良県桜井市の「段ノ塚古墳」、明日香村の「中尾山古墳」、高取町の「束明神古墳」などが八角墳。その多くが天皇陵と考えられる古墳ですが、東京都多摩市の「稲荷塚古墳」や、山梨県笛吹市の「経塚古墳」など、畿内以外にも見つかっているそう。
去年訪問してペーパークラフトを作った群馬県吉岡町の「三津屋古墳」も八角墳でしたね!
石室と被葬者
牽牛子塚古墳は石室を見学することができます。まるで神殿のような石室入口。
入った先に広がるのは巨大な凝灰石をくり抜いた石室。
写真には撮りにくいのですが、柵の中を覗くとこんな感じで柱があり2つの部屋になっている様子を見ることができます。
被葬者は、日本書紀によると斉明天皇とその娘にあたる間人皇女。斉明天皇は飛鳥時代の女帝。2度も天皇となる重祚(ちょうそ)を、日本史上初めて行った天皇でもあります。
最初は夫である舒明天皇が崩御した後、皇極天皇として即位。大化の改新のはじまりである「乙巳の変」を受けて、孝徳天皇に譲位するも、その後再び斉明天皇として即位します。「大化の改新」を経て、外交上重要な「白村江の戦い」が勃発するまでの激動の時代を支えた天皇でした。
舒明天皇の皇后であったことに加えて、孝徳天皇の姉であり、天智天皇と天武天皇の母でもあります。ということは、自身が天皇であることに加えて、天皇の夫であり、天皇の姉であり、天皇の母でもあったのですね。
もう一つの古墳
牽牛子塚古墳を散策していると、もうひとつ石室が見えてきます。
石室が2ヶ所にあるのかと思いきや、こちらは越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)。整備事に見つかったもうひとつの古墳です。屋外展示されていた模型で見ると、このような位置関係で2つの古墳が築造されています。
石室は展示室風に仕上がっており、ボタンを押すと映像も見ることができます。
ここで見ることができる石室はレプリカではありません。ドーム部分は崩壊していますが、床板はそのままの姿で残っています。
こちらの古墳の被葬者は大田皇女(おおたのひめみこ)と考えられています。天智天皇の娘であるため、牽牛子塚古墳に眠る斉明天皇の孫にあたります。後の天武天皇である、大海人皇子の妃となるも、夫の即位前にこの世を去ってしまいます。息子は大津皇子(おおつのみこ)、「悲劇の皇子」と呼ばれる人物ですが、またそれは別の機会にしますね。
アクセスと見学情報
近鉄吉野線・飛鳥駅から徒歩約10分でアクセスできます。
墳丘の見学は自由ですが、越塚御門古墳の映像は9:00~17:00であるそう。また、予約すれば石室を間近で見学することもできるようです。
https://asukamura.com/topics/3685/
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