避けては通れない戦争の歴史『姫路市平和資料館』(姫路市)

兵庫県

太平洋戦争の最中で姫路が受けた被害を後世に伝えるために建てられた資料館。重い空気の流れる施設ですが、姫路に訪れたらぜひとも足を運んでほしい場所です。ここに来ると、今も昔もシンボルとしてそびえる姫路城の見え方が変わるかもしれません。

※館内は写真撮影禁止。そのため、今回の記事はほぼ写真ナシとなりますことご了承ください。
訪問日:2018/1/13(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

手柄山の資料館

姫路駅から1.5kmほどのところにある手柄山。手柄山中央公園として整備されており、水族館、スリラー塔、体育館や陸上競技場など様々なスポットが並ぶ、にぎやかなエリアです。

そんな中、少し厳かな空気が漂うのがこちらの建物。その正体は姫路市平和資料館という、戦争の惨禍と平和の尊さを後世に伝えるためのミュージアム。周辺の他のスポットと比べて非常に固い印象ですが、ここまで来て素通りするわけにもいかないなと思い、訪問してみることにしました。

姫路が受けた空襲

ここに来て初めて知ったワード『姫路空襲』。第二次世界大戦末期、東京や大阪といった大都市だけでなく姫路市をはじめとした中小都市へも空襲が続けられました。1945年6月22日、B-29爆撃機が飛来。川西航空機姫路製作所を中心に約1時間の爆撃が。続く7月3日、姫路市街地全域に約2時間の爆撃が行われます。

この二度に渡る空襲で被災した人は50,000人以上、命を落とした人は500人以上にも及びます。

「日本本土空襲」ときいて多くの人が思い浮かべるのが東京・大阪・広島・長崎かと思いますが、実際のところ47都道府県全てが空襲のターゲットとなっており、命を落とした人は合計で559,197人といわれています。(※諸説あります)

生々しい戦争の資料

館内では「美しい城下町・姫路」「平和を祈って」など、5つのテーマに分かれて展示が続いています。

空襲で焼けて、体半分がなくなった大黒像や、床振動と映像で再現される空襲の光景・・・。生々しくリアルな展示物は、見ているだけで、解説の文字を読んでいるだけで辛くなります。

この展示物を作成した人たち、そしてこの資料館を作り上げた人たちは長期に渡りそれと向き合っていたはず。悲しい記憶と対面し続けるのは、とても辛い作業だったのではないでしょうか。

平和資料館の裏手には太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔が建立されています。全国からの浄財で1956年に建てられたこちらの巨大なモニュメント。刀を地中に埋めた形で「もう戦争はしない」ということを表しているそうです。

覆われた姫路城

辺り一面焼け野はらとなった姫路市街。しかし、姫路城は何故か燃えることなく残りました。館内の展示「覆われた姫路城」「炎の中の姫路城」「よみがえる姫路城」では、そんな戦時下における姫路城の様子を知ることができます。

真っ白く目立つ姫路城ですが、戦時中は墨汁に浸した布をかけることで空襲の目標となるのを防いでいたそうです。

米軍が文化的価値を認めて攻撃目標からあえて外したとも、お堀の水のおかげでレーダーには沼地として映っていたため攻撃されなかったとも言われていました。いずれにしろ、焼け野原にそびえる姫路城は人々にとって大きな心の支えとなったに違いありません。


時は流れ空襲から50年が経った1995年、姫路市は姫路空襲を行ったB29に搭乗していた5人の米軍パイロットを市内へ招いたそう。そのときに「夜間であったため姫路城は確認できず、池や沼と判断した」との証言があったそうです。

これにより、姫路城が焼失しなかった理由は明らかとなりました。しかし、実際に天守に直撃した焼夷弾が発火せずに不発だったという事実も。姫路城は不思議な力に守られていたと考えても良いかも知れませんね。

アクセスと営業情報

山陽本線の手柄駅より徒歩15分ほど。姫路駅からバスで5分ほどのバス停《手柄山中央公園口》より徒歩10分ほど。

開館時間 9:30~17:00
休館日 月曜、祝日の翌日(土日祝除く)、年末年始
料金 210円
公式サイト https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/category/1-9-1-4-0-0-0-0-0-0.html

※掲載の情報は2023年1月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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