萩港からフェリーに乗ってたどり着いた萩大島。集落めぐりを終えて、斜面を登り「の」の字の石垣やチンチキ堂、大島八幡宮をめぐっていきます!登り切った先には広大な畑が広がっていました。
「の」の字が刻まれた石垣
集落から先は上り坂。振り返ると、民家の向こうに広がる海原。この風景、めっちゃ良くないですか?

そんな上り坂にあるのが「の」の字の石垣。「なると」、もしくは沖縄の「のまんじゅう」が頭に浮かぶ、ユニークなデザインです。

この「の」には意味があります!水害で石垣が崩れて流された時に、再度組み直せるように「家の屋号の頭文字」を目印として記していたそうです。
チンチキ堂ってなんだ?
次に向かったのは「チンチキ堂」。マップには学校グラウンドの奥との記載がありますが、どこにあるのでしょうか?

近くで草むしりしている方に尋ねたところ、向かって真ん中の草むらに道がありました!「白い壁」と「鉄棒」の間の細い未舗装路を進みます。これ、初見クリアは難しそうです。

進んだ先にあるのは、石碑と五輪塔。萩大島は鎌倉時代の初めに7名の平家の落人が大島に住み着き、その子孫達の努力によって大島の礎が築かれたという歴史が残っています。豊田、貞光、池部、国光、長岡、刀祢、吉光の7人であり、今も島に多く残る苗字であるそう。

ここはその7人の墓碑と伝えられており、七名塚とも呼ばれています。
気になるチンチキという名前ですが、夜になるとどこからともなく「チンチキ」と鐘の音が聞こえたという話にちなんでいるそう。
チンチキという鐘の音、どんな感じだろうと想像したいたところ、突然島内に鳴り響くサイレン!何事かと思っていると、先ほどの草むしりしている方が「12:00を知らせる合図」と教えてくれました。緊急事態かと一瞬焦りました!
静かに佇む大島八幡宮
島を代表する神社が大島八幡宮。石段はけっこう段数がありますが、新しくてキレイな手すりが設置されています。

木造の立派な社殿。ここは延歴11年(792年)に大分県宇佐八幡宮より勧請された神社。文正元年(1466年)に新しく建立されましたが、安永9年(1780年)の大火で一度焼失し、翌年再建されました。

境内には神明社や大歳神社など、多数の摂末社が祀られていました。

ヤマの上に広がる畑
大島八幡宮からさらに上、集落から離れたヤマと呼ばれるエリアへ。この辺りは畑が広がる、のどかな地帯。

こちらの畑に植えられた大きな葉っぱ、何かわかりますか?

正解はタバコ畑。島では昭和14年から葉タバコの栽培が開始されます。当初は各家の乾燥小屋で夜通し火を焚いて乾燥させていましたが、一ヶ所でまとめて乾燥するための共同乾燥施設、通称「キョーカン」が造られました。
この畑では、季節によってブロッコリーが植えられているそう。大島は県内でも有名なブロッコリーの生産地とのこと。大島で育つブロッコリーは潮風にあたって育つため、とても柔らかく美味しいらしいです!最近なんとか食べられるようになったブロッコリー。ちょっと気になりますね。
萩大島からの帰り道
さらに進んで「葉たばこ共同乾燥施設」を経由して「いろは坂」を降りて港に戻る予定でしたが、時刻は12:30。出港まであと40分しかないので、危険と判断。来た道を下って港へ帰ることにしました。
12:45頃、港に到着。フェリーはぎおおしまは既に待機しております。

出港すると、島に向かって叫び続ける子供たち。港では、島の子供たちがそれに答える!島の親戚に会いに来たのか、それとも転校などで離れてしまった友達に会いにきたのかな。いろんなドラマが想像できますね!

子供たちの全力のコールアンドレスポンスも終わり、あっという間に萩港に到着。そんなわけで、見島・相島・萩大島と、萩の離島を3つ巡り終えました!
いずれも日帰りで気軽に楽しめる離島。派手な見所は少なめですが、島ならではの風習や街並みをたっぷりと楽しむことができました!
次回からは、萩のお隣・長門の島「青海島(おうみしま)」について書いていきますね!


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