島後 Part 2 神社と古墳と資料館めぐり 水若酢神社・五箇創生館・隠岐郷土館 (隠岐の島町)

隠岐諸島

レンタカーでめぐる島後。まずは西郷〜五箇と、島の中心部をメインにまわります!「玉若酢命神社」「水若酢神社」「五箇創生館」「隠岐郷土館」とめぐり、牛突き、古典相撲、隠岐造といった、隠岐ならではの伝統を学びにいきます。

訪問日:2022/5/2(月)

中ノ島からフェリーくにがで14:00に到着した島後。レンタカーを借りて、島の名所めぐりに出発!本来ならばローソク岩遊覧船に乗船予定でしたが、風の影響で欠航に。時間がたっぷりできたので、島の中央の名所をいろいろとめぐることにしました。

玉若酢命神社

西郷港から車で5分ほどのところにある玉若酢命(たまわかすみこと)神社。島を南北に通るメインストリート・国道485号線沿いに位置しており、非常にアクセスしやすいスポット。茅葺きの随神門が趣深いです。

主祭神は玉若酢命。第12代天皇である景行天皇の皇子である大酢別皇子の御子ともいわれています。記紀(古事記・日本書紀)には登場しない神様です。

本殿は「隠岐造」という建築様式。正面に向拝と呼ばれる屋根が付けられていますが、それが大屋根とはつながっていないのがポイント。隠岐地方独特の様式であるそうです。

境内には八百杉(やおすぎ)という巨木がそびえていますが、この杉については次の記事にてまとめますね!

玉若酢命神社古墳群

玉若酢命神社の拝殿向かって右の山道を進むと、玉若酢命神社古墳群があります。遊歩道となっており、その両サイドに全部で15基以上の古墳が並んでいます。

ここを歩く人は少ないのか、道は枝や倒木でけっこう埋まってます。神社参拝のついでによるには少々ハード。

11号墳の指標は見つけましたが、その姿はよくわかりません。他の古墳にいたっては存在すらよくわからない。

一番奥にあるのが8号墳。6世紀後半ごろの築造と考えられている前方後円墳です。といってもただの山にしかみえません。置かれている8号墳の指標でかろうじて古墳ということがわかる程度。

8号墳の墳丘長は33.2m、後円部直径19m、後円部高さ2mと古墳群で最大の規模を誇ります。古墳時代後期頃の築造といわれていますが、調査は行われていないため詳しいことはわかっておりません。もしかしたら玉若酢命神社の御祭神と関連があるかもしれませんね。

水若酢神社

続いて訪れたのは、西郷港から車で20分ほどの五箇地区。ここには隠岐国一宮である水若酢神社があります。

御祭神は水若酢命。玉若酢命と同様に古事記・日本書紀にも登場しない神様。古文書などがほとんど消失しているため、詳しいことはわかっていないそうです。案内板によると、海中より現れた神で、国土開発や海上鎮護の神として信仰されているそうです。

江戸時代の寛政7年(1795年)に造られた本殿。玉若酢命神社と同様に「隠岐造」となっています。

境内には土俵もあります。この神社は20年に一度遷宮を行いますが、その際に古典相撲がとり行われます。川上健一の小説「渾身」および、それを原作とした2013年公開の映画「渾身 KON-SHIN」でもその古典相撲の様子は描かれているそうです。

水若酢神社古墳群

先程の玉若酢命神社と同じく、水若酢神社の境内にも古墳が残っています。水若酢神社古墳群と呼ばれていますが、現存しているのは2基だけ。社殿のすぐ近くにあるため、神社参拝に合わせて気軽に見学できます。

社殿に向かって右側にあるのが1号墳。墳丘が失われているため、どのような墳形をしていたかはわかっておりません。横穴式石室は11mにもおよび、隠岐諸島最大級。石棺が2つ見つかったそうですが、被葬者はわかっておりません。

2号墳は社殿の裏にあります。直径約20メートル、高さ2.5メートルの円墳と推定されていますが、正確なことはやはりわかっておりません。

五箇創生館

水若酢神社のすぐ近くには五箇創世館という島の伝統に関する資料展示を行うミュージアムがあります。展示室は一部屋だけなのでサクッと見られます。

大型映像シアターでは、スクリーン映像を観覧することができます。神々、ローソク岩、牛突き、相撲、民謡とメニューがあり全部フルで見ると42分ほど。もちろん、ばらばらで見ることも可能です。

神社の屋根の葺き替えや町の記念事業、大型公共事業の竣工を記念して、「隠岐古典相撲」と呼ばれる相撲大会が行われます。最大の特徴は、夕方から始まり次の日の午後まで、夜を徹して行われるということ。また、二番相撲を行い、一番目の勝者は二番目では勝ちを譲り1勝1敗とする「人情相撲」である点もポイント。地域を代表して行っていたため、地域同士の争いを防ぐためともいわれています。

配流された後鳥羽上皇を慰めるためにはじまったといわれている闘牛「牛突き」。この闘牛の特徴は、賭け事にはしないこと、そして牛が逃げて観客が怪我しないように鼻綱をつけたまま行われること。年に6回ほど大会が開催されていますが、それに加えて、観光用の牛突きはそれなりの頻度で行っています。

実は明日も開催されるのですが、帰りの船に間に合わなくなる可能性があるため断念。次月のスケジュールが出るのが下旬なので、月初に旅程を組む際は合わせるのが難しそうです。

併設の喫茶店では隠岐そば&ばくだんおにぎりといった隠岐の郷土料理を食べることもできます。ただし営業時間は11:00~14:00とお昼限定なので、タイミングが大事です。

隠岐郷土館

歴史ある建築が多く残る隠岐の中でもひときわ目立つのがこちらの洋館。明治時代に建てられた郡役所で、現在は隠岐郷土館という名の資料館となっています。五箇創生館のすぐ目の前にあるため、歩いて行けます。

館内には島内の遺跡から発掘された土器、民具や農具といった民俗資料がたっぷり。かなりのボリュームですが、きれいに整頓されて展示されています。洋風な外観と和風な展示物のコントラストが強い。

隠岐は、かつて無血革命を成し遂げ、島民による自治を行った歴史があります。この3人は、その隠岐騒動の際に活躍した人物。左から文事頭取をつとめた井上甃介、軍事方頭取をつとめた横地官三郎、郡代追放時に島民の指揮役をつとめた忌部正弘。隠岐騒動について、詳しくは前回の記事にて。

隠岐しゃくなげ園

水若酢神社や五箇創世館のすぐ近くにある隠岐しゃくなげ園。通常は有料の施設ですが、2022年はしゃくなげ祭り中止にともない、無料開放されてました。

かつての村長さんが作り上げたというこのしゃくなげ園。山の斜面を埋め尽くすように咲くシャクナゲは圧巻!その数、およそ1万本とのこと。シャクナゲは花が大粒なので非常に見応えありますね!

このシャクナゲ、基本的に手はかからないそうですが、一番大変なのは花の終わり。来年もキレイな花を咲かせるには、全ての花の茎をポキっと落としていかなくてはいけないとのこと。もう少ししたら、この全てのシャクナゲ全てにこの作業をしなくてはならないのですね…。

さて、今回はここまで。次回の記事では、隠岐が誇る杉の巨木に焦点を当ててお送りしたいと思います!

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