島後 Part 1 島へのアクセスと移動手段と無血革命(隠岐の島町)

隠岐諸島

隠岐諸島めぐり、最後の島となるのが最大の面積を誇る島後(どうご)。人口も多く見どころもたっぷりな島ですが、かなり広いのである程度計画を立ててから訪問するのがおすすめ。1本目のこの記事では簡単に島の紹介や島での移動手段などをまとめました。最後に島の歴史を語る上で外すことができない革命「隠岐騒動」についてもさらっと書いてみました。

訪問日:2022/5/2(月)

島後ってどんな島?

隠岐諸島で最大となる島後。面積は241.64 km²と隠岐諸島で最大の離島で、日本の島の中でも12番目の大きさを誇ります。(※北方領土除く)

隠岐諸島は島前・島後に分かれています。島前は主に3つの島から構成されていますが、島後は1島。そのため、固有の島名が無く「島後」と呼ばれています。

人口も約15,500人と、島前3島の合計よりも多く隠岐諸島の中心となる島。全島が隠岐の島町に属しており、他の隠岐諸島の島同様に「島後」よりも「隠岐の島町」と自治体の名前で呼ばれることの方が多いです。

観光スポット

知夫里島の赤壁や西ノ島の国賀海岸といった島前で見られるような広大な景色は意外にも少ないですが、深い森が広がっているため神秘的な雰囲気。壇鏡の滝などの迫力ある滝や八百杉・かぶら杉などの巨木も多く、自然のエネルギーを感じてリフレッシュできます。

また、全国有数の神社数を誇る島でもあり、玉若酢命神社水若酢神社など多くの神社が存在しております。深い歴史を感じながら神社をめぐるのも島後の楽しみ方の一つ。

サンセットのタイミングで島の近くの海域にそびえるローソク島を見に行くクルーズ船「ローソク島遊覧船」や、八尾川をのんびり進む「かっぱ遊覧船」もあります。いずれも予約が必要なので、レンタカーや宿が抑えられたら、その勢いで電話してしまうのが良さそうです。

タイミングは限られていますが、島後には牛突き(闘牛)もあります。

隠岐に配流された後鳥羽上皇を慰めるために始められたという歴史ある文化で、年6回ほど大会が開かれています。さらに月に10回ほど観光闘牛も開催されているため、国内の他の地域の闘牛に比べて体験しやすいのがポイント。こちらのページにスケジュールが掲載されていますので、旅程を組む際には確認してみるのがおすすめです。
(ただし観光闘牛の月毎の日程がアップされるのは前月末と少し遅め。月初に隠岐へ行く際はぎりぎりまでスケジュールが見えない可能性があるのでご注意ください)

島後へのアクセス

鳥取県の境港、島根県の七類港からそれぞれフェリーと高速船が出ています。

七類港発 境港発 別府港着 所要時間 料金
フェリーおき(七類) 9:00 11:25 2時間25分 3,510円(2等)
フェリーくにが(七類) 9:30 14:00 4時間30分 3,510円(2等)
高速船レインボージェット(七類) 16:50 17:59 1時間09分 6,680円
フェリーしらはま(境港) 14:25 18:30 4時間05分 3,510円(2等)
高速船レインボージェット(境港) 12:00 13:23 1時間23分 6,680円

※掲載の情報は2022年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

島前三島では通過する便もありましたが、この島後は全ての船が寄港するため選択肢は多いです。ただし、所要時間にはかなり差があります。「フェリーおき」なら2時間25分ですが、「フェリーくにが」は先に島前の島をめぐるため、島後まで4時間30分もかかるので要注意。

また、島内には隠岐空港(隠岐世界ジオパーク空港)があるため、空路でのアクセスも可能。伊丹空港、出雲空港からそれぞれ1日1便ほど運行しています。所要時間は、伊丹から約1時間、出雲から約30分。

フェリーくにがの乗船記はコチラ。

隠岐諸島の旅のはじまり『フェリーくにが』乗船記(七類港~来居港)
隠岐諸島への旅のはじまりはフェリー乗船記から!七類港から島前三島へ向かう場合にお世話になるのがこちらのフェリーくにが。船内はとっても広々としており、いろいろな設備も充実しております。ゴザや毛布に加えて、ちょっと意外なものもレンタルしてました・・・!

島後の玄関・西郷港

島の玄関口となるのが西郷港。全てのフェリー・高速船はこの港に寄港するため、旅の始まりはここから。

ターミナルの前には鬼太郎親子とねずみ男像。妖怪像といえば境港の水木しげるロードが有名ですが、「水木しげるロード延長プロジェクト」によって隠岐にも妖怪が増えてきています。

建物内には、お土産屋さん、カフェ、観光案内所、隠岐自然館というミュージアムが入っています。レストランはありませんが、港の周辺には飲食店が多数あるので、それほど困らなそう。

ちなみに「かっぱ遊覧船」は西郷港のすぐ近くに受付・乗船場がありますが、「ローソク島遊覧船」の乗船場はここからかなり離れているので要注意。

島内での交通手段

広い島なので、島内の観光スポットをめぐるにはレンタカーがほぼ必須。他の隠岐諸島に比べると複数のレンタカー会社があるため台数は多いですが、それでも繁忙期は満車になることが多いようです。ピークシーズンに訪問される方は、何よりも先にレンタカーの予約を急いだほうが良さそう。

今回私は一畑レンタカーにて予約しました。軽自動車で料金は24時間5,500円。他のレンタカー会社もだいたい同じくらいの値段設定です。

予約したところ、フェリー下船口までスタッフさんが迎えに来てくれました!貸出もその場で書類に記入するだけ。また、返却も港においておくだけという超お手軽スタイル。店舗移動が不要なので時間の節約にもなりますね。

なお、レンタカーで巡る際に注意すべきなのが、道路の通行止め。2022年4月時点では、通れなくなっている箇所が非常に多いです。観光案内所では「乳房杉」などはアクセス不可との記載があったりもしますが、実際には通行止めが解除されている可能性も・・・・。

■マイカー航送もあり?
本土からフェリーでマイカーを航送することもできます。お値段は4m未満で片道18,260円。運転手1名の乗船料3,510円を含むものの、なかなかのお値段です。往復で計算すると、6日以上滞在する予定でない限りはレンタカーの方が安くなります。ただし、「隠岐フリー自動車航送切符」「鬼太郎割」など割引が適応できる場合もあります。詳しくは隠岐汽船のHPでご確認ください。

バスもそれなりに本数があるため、ピンポイントな観光を予定している方は利用するのも良さそうです。また、2022年時点ではレンタルバイクは貸し出ししていないよう。代わりにスポーツタイプの電動自転車E-bikeがレンタル可能。体力に自信のある方は、これである程度まわることができそうです。

無血革命を成し遂げた島

2022年現在では隠岐の島町という一つの町となっていますが、明治時代から1954年までは8つの町村に分かれていました。そんな島後の歴史を調べていたところ、かつて島民による自治が行われた期間があったそう!

優しい革命とも称されるこの隠岐騒動について、最後にさらっとまとめてみました。

外国船の脅威

時は幕末、黒船来航以降、隠岐にも外国船が姿を見せるようになります。巨大な船や日本人よりも大きな体躯をした外国人の風貌を前に、島民は「島が乗っ取られるのではないか」と不安に思う気持ちが高まって行きます。

島を守るために軍備増強の必要があると考えますが、隠岐を管轄していた松江藩は農民の武器の所持を禁止。隠岐出身である中沼了三が十津川(奈良県)に開いた「文武館」を隠岐にも設置したいと嘆願書を提出するも、松江藩はこれを却下。打ちこわしなど島民の暴動を恐れていたためといわれています。

役人の追放

この間に王政復古が行われ、幕府が政権を返上。その際に、隠岐が松江藩預から朝廷御領に変わります。新政府からこのことを記した書状が隠岐の各庄屋(村を治める代表者)宛てに送られますが、松江藩の役人はこれを勝手に開封。これが多くの人の怒りを買うことになります。

庄屋たちは「松江藩の役人が島にいる必要はない!」という正義党とそれに反対する出雲党の2つにわかれますが、最終的には正義党の主張にまとまり役人の追放を決定。

住民およそ3,000人が役人の住む陣屋を取り囲みます。役人の首をはねる、といった過激な意見も出ましたが、あくまで要求として島外退去を訴えました。役人もこれに従い、翌日船で松江へと引き上げていきました。血が流れることなく自治を勝ち取った、いわば無血革命が成功したのです。

なお、島を去る役人に対して餞別として米2俵、酒2斗を渡したそう。隠岐の人の優しさが垣間見えます。

前代未聞の島民自治

見事役人を追い出すことに成功した島の人々は、陣屋を総会所として自治を開始。「総会所頭取」「会議所」「兵糧方」「軍事型頭取」など他に例の無い独自の自治機関を設立、役割を分担していきます。

念願だった武芸や学問を学ぶことができる「立教館」も設立しました。

しかし、安泰に見えた島民たちの自治も長くは続きませんでした。

隠岐騒動のその後

新政府より隠岐取締りの指令を受けた松江藩が上陸し、武力によって陣屋を奪還します。これにより隠岐の自治は終了かと思いきや、薩摩藩、長州藩などのとりなしにより自治は継続。

最終的に、隠岐は松江藩から鳥取藩の管理ということが決まり、この騒動は決着します。

数ヶ月という短い期間でしたが、離島にて起こった前代未聞の出来事。なぜ隠岐では無血革命からの島民自治という他の島ではなし得ないことが達成できたのか。もちろん天朝領となったことが後押しとなった背景は無視できませんが、何より島民の危機意識の高さ、そして団結力の賜物であったと思います。血を流すことがなかった点は、無用な争いを避ける島の人々の優しさでしょうか。

もっとお手軽に知りたい方は、隠岐の島町のHPに掲載されている漫画冊子「優しい革命 隠岐騒動」がとってもわかりやすくおすすめです。

漫画冊子「優しい革命 隠岐騒動」の公開について |隠岐の島町-ほっとひと息、安らぎの島
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※この記事では島の人寄りの目線でまとめてみましたが、この隠岐騒動はいろいろな側面があると考えられます。興味のある方は、様々な視点から調べてみることをおすすめします。

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