泰平の世に造られた軍事要塞『赤穂城跡』の目的は?(赤穂市)

兵庫県

岡山県との県境に位置する兵庫県の赤穂市。この地に残る赤穂城跡は、非常に複雑な縄張で知られる要塞のような城郭。泰平の世が訪れた「元和偃武(げんなえんぶ)」後に造られた城とのことですが、その目的はなんだったのでしょうか?

訪問日:2023/4/30(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

赤穂城のヒストリー

赤穂城のルーツは室町時代に築かれた加里屋城や、戦国時代に池田長政によって築かれた「掻上城」といわれています。
1645年に常陸国(茨城県)の笠間より移封となった浅野長直が初代赤穂藩主になると、本格的な近世城郭として改築。現代も城跡が残る「赤穂城」の姿を造り上げていきます。

明治時代に入ると、廃城令を受けて廃城へ。この場所は小学校や高校などに活用されていきます。1955年に大手隅櫓、大手門が再建。1971年に国の史跡に指定されると、そのほかの建築も再建。現在は赤穂城跡公園として整備されております。

今回は忠臣蔵ゆかりの赤穂大石神社へ参拝したのち、本丸を訪てみました。

天守閣の無い天守台

本丸門をくぐると、そこはかつての本丸エリア。かつては藩主の御殿があり、御殿の間取りを示す縁側が復元されています。

くつろぎ池と呼ばれる池も復元されています。歴代城主はこの池を眺めて心を休めていたのでしょうね。

重厚な石垣が組まれた天守台。この上にはどんな天守閣が建てられていたのか想像が膨らみます・・・といいたいところですが、赤穂城にはもともと天守閣がありませんでした。

天守台があるということは、本来は天守閣を想定していたはず。何があったのか気になりますが、どうやら予算不足という説が濃厚なようです。

台だけ造って頓挫するというのは計画に不備があったのではと疑いたくなりますが、現地で聞いた話によるとその原因となったのは「京都御所の火災」であるそう。その修繕のために多額の費用を捻出せざるを得なく、天守閣まで造り上げることができなくなってしまったそうです。

天守台からは、大池泉を中心とした本丸庭園が見渡せます。天守閣の立たない天守台は、展望台として使用されてのでしょうかね。

複雑にめぐる石垣と堀

赤穂城に来たら、注目したいのがその「縄張」。本丸や二の丸の配置、堀のめぐらせ方など、城の設計のことです。

この赤穂城の縄張は非常に複雑。まず二の丸が本丸を囲む「輪郭式」。そして、本丸の石垣は四角形とは大きく異なる複雑なカタチをしています。

この縄張りは、軍学者の近藤正純によって計算されたものであるそう。関ヶ原の戦い以後である1604年生まれであり、大坂の陣の際もまだ子どもであるため実戦経験はありません。しかし、武田信玄の戦術をルーツにもつ甲州流兵学を学んでおり、そのノウハウを存分に生かした仕上がりとなっています。

本丸を出て、その周囲を囲むお堀沿いに歩いてみると、石垣の角が何か所も見えてきます。かつて、この突端には隅櫓(すみやぐら)が設けられており、砲撃戦の際には十字砲火を行うことが可能でした。

軍学者の山鹿 素行(やまが そこう)が関わっているという話も良く知られていますが、現地のガイドさんの話によると、実際のところはほんの一部であるそうです。

何のために造られた?

「元和偃武(げんなえんぶ)」というコトバをご存じでしょうか?1615年に大坂の陣において、江戸幕府が豊臣家を滅ぼします。これにより、長い戦乱の世が終わり、天下泰平の世が見えてきたことから、このようなコトバが生まれたそうです。

この赤穂城の築城がはじまったのは1648年。大阪の陣の30年後ともなると、世の中的にはすっかり落ち着いていた頃。そんな時期に、いったい何のために造られたのでしょうか?

その理由として考えられるのが西国の抑え。豊臣家という大きな勢力が失われても、依然西国には島津、毛利など有力な外様大名がその力を蓄えていました。大坂城から西へ、尼崎城、明石城、姫路城と続くこの赤穂の地は西国防衛線の最前線とも呼べる立地。そう考えると、ここに堅牢な城を建てることは非常に重要であったと推測できます。

また、1642年に水戸藩初代藩主である徳川頼房の子である松平頼重が高松へ転封となります。その高松松平家が有事の際に連絡できるよう、瀬戸内海を挟んだ本州側への受け口が必要でした。

その矢先、赤穂藩2代藩主である池田輝興が発狂、正室や侍女を斬殺するという事件を起こし改易に。そこに幕府と関係の深い浅野長直を笠間からこの赤穂へ国替することで、重要な拠点である赤穂を抑えることに成功したのでした。

<行ってみた感想>
建築などは少ないため本丸そのものはそれほど見ごたえがありません。この城跡の魅力は、なんといっても複雑な縄張。これを意識して石垣や堀を歩くのが、もっとも赤穂城の魅力を体感できるはずです。なお、本丸に常駐しているボランティアガイドのおじいさんは、とんでもない知識量です。小さな疑問でも訪ねて見ると、いろいろと教えてくれるはずです・・・・!

アクセスと営業情報

JR線の播州赤穂駅より徒歩約15分、車の場合は山陽自動車道の赤穂ICより約10分。

駐車場は「赤穂大石神社」に停めて参拝と合わせる、もしくは赤穂城跡公園 東駐車場に停めて「赤穂市立歴史博物館」と合わせて訪問がおすすめです。いずれも無料で利用できます。

開園時間 見学自由 ※本丸、二之丸庭園は9:00~16:30
休園日 無休 ※本丸、二之丸庭園は年末年始
料金 無料
公式サイト http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/akojo/

※掲載の情報は2023年3月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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