見島の記事ラストは、島の北部の宇津(うつ)港周辺について。崖にそびえる観音堂と賽の河原、ジオパークにもなっている断崖絶壁など、離島ならではの独特な風景が広がっていました。
ロシア兵漂着の歴史
萩港より「フェリーゆりや」でやってきた見島の本村港。そこから名所をめぐりながら歩いてたどりついたのが、島のもう一つの港、宇津(うつ)港。ここから船で帰る予定ですが、時刻は13:30。帰りの船は14:40なので、まだ1時間以上あります。
ということで、宇津港周辺を散策することに。宇津港のすぐそばにあるのが砂見田海岸。海水浴場やキャンプ場があります。

その傍にある石碑は露兵漂着地の碑。ときは明治38年(1904年)、日露戦争における日本海海戦で撃沈された特務艦カムチャッカの乗組員50〜60人が見島に上陸します。島の人々は医師を派遣して彼らを救護。この人道的な行いを憲章して建てられたのがこの石碑なのです。

ロシア兵に食事を提供する際、島の人は重湯を「ミルク、ミルク」、沢庵を「ニッポン、バター」と言い配ったそう。重湯はお米を炊いた際にでる上澄みの汁なのでぜんぜんミルクじゃないし、沢庵も全然バターではない気がしますが、食べ物であることを伝えるためのアイディアだったのでしょうね。
島ならではの信仰のカタチ
そのまま北へ進んて行くと、島北部を代表する観光スポット宇津山観音寺正観音があります。道中には地蔵尊が多数。島の石仏は、石室のような囲いがあるのが特徴。ここ以外でもこの形式を多数見かけました。

まるでキノコみたいな石もあります。こちら笠石、もしくはナバ石とも呼ばれるもの。こちらも島のあちこちで見ることができます。

一説によると男性のシンボルを表したもので、原始宗教の遺物であるそう。笠石に小石をのせて拝むと、子宝に恵まれると信仰されています。
連なるのは木の鳥居。石やコンクリートではなく、白木造りの鳥居が並ぶのは珍しいです。

その先には石の鳥居がありますが、鳥居の先は大海原。あれ、観音様は・・・?

海辺の崖に建つ観音堂
観音堂は、鳥居の先の階段を下った先にあります。赤瓦のお堂は、海辺にせり出すように建てられています。

ここは、全国で3ヶ所しかないと言われる正観音が祀られているお堂。ご利益を求めて、島外から参拝に訪れる人も多いそう。
お堂の先には、石とコンクリートでできた小さな橋。海面からはけっこうな高さがあるので、風が吹くとなかなかのスリル。

その先には石積みがあります。ここは賽の河原と呼ばれる場所。島では人がなくなると、この場所に故人の名を記した石を積むという風習があるそうです。この石ひとつひとつに深い想いが込められているのですね。

ダイナミックな観音崎
この観音堂のあたりは観音崎と呼ばれており、ダイナミックな地形が広がっています。

赤茶色の土が何層にも重なる崖を、石と草が彩るカラフルな風景。1200万年前の火山噴火により形成された地形は、観音堂と合わさり見島ならではの風景を作り上げています。

このあたりの海岸は、萩ジオパークのジオサイトにも指定されています。隠岐の島を思い出す雰囲気。中ノ島の明屋海岸や、知夫里島の赤壁あたりと似てませんか?
草原に立つ白い鳥居
観音堂の近くの観音平は、広々とした草原。かつてはここで牛の放牧が行われており、古牧台とも呼ばれています。

草原の奥には、海にむかって立つ真っ白な鳥居。絵になりすぎる風景です。

ところで、鳥居はあるけど神社はないのでしょうか?さきほどの観音堂の鳥居なのかと思いきや、眼下の赤い岩の上にも白い鳥居が。どうやら、岩の上に祠があるようです。

そこまでハードな道ではないので行けないことはなさそうですが、風がつよいので断念。
ということで、宇津港へと戻ります。急に強い日差しが降り注ぎ、5月2日にして早くも夏を感じてきました。

フェリーゆりやで萩港へ
宇津港には14:15に到着。島には10:15に着いたので、散策時間は4時間ちょうど。「見島神社」「おしあいの館」「ジーコンボ古墳群」「見島ダム」「見島牛放牧場」など、島の名所はかなりじっくりと見ることができて大満足でした。

14:25頃、ゆりやが到着。あらためて、ターコイズブルーとイエローのカラーリングがとってもキレイ。

屋外席で思い出に浸りながら帰ろう思ったのですが、行きと同様に揺れが激しく、高波が吹きこんで来るため船内へ避難。

帰りの船は珍しく眠っちゃったので、あっという間に萩に到着。定刻では15:55到着ですが、実際は15:45頃。やっぱり萩海運はスピーディーです。
ということで、見島はこれでおしまい。この勢いで、「相島」と「萩大島」も続けていきますね!


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