毎月18日が拝観日!聖徳太子が建立した寺院『野中寺』(羽曳野市)

大阪府

聖徳太子が建立したと伝わる歴史ある寺院。かつての堂塔の跡や古墳の石室など、歴史を感じる見どころがあります。「金銅弥勒菩薩半跏像」を拝観するなら、18日を狙って訪問するのがおすすめです!

訪問日:2025/10/18(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

1400年の歴史を持つ寺院

羽曳野市にある野中寺(やちゅうじ)は、高野山真言宗の寺院。白雉元年(650年)頃に聖徳太子によって建立されたと伝わる、めっちゃ長い歴史を持つお寺です。太子町の叡福寺「上の太子」、八尾市の大聖勝軍寺「下の太子」に対して、「中の太子」と称されており、聖徳太子建立三太子の一つに数えられています。

創建時の建築は南北朝時代の「野中寺合戦」などで焼失。寛文元年(1661年)に政賢覚英和上と慈忍恵猛律師らによって再興されます。この、一度焼失してしまった歴史を踏まえていると、境内散策の解像度が上がります!

諸堂と古墳の石室

門を抜けた先に立つ本堂。かつての講堂跡に建てられています。建立年は記載がなく不明です。

地蔵堂は寛文元年(1661年)建立。この地蔵堂、中に入ることができるのですがそれはまた後ほど。

こちらの大きな石造物はヒチンジョ池西古墳石棺。ヒチンジョ池西古墳は、7世紀末に築造されたと考えられる、終末期の古墳です。その埋葬施設であり、長さ2.4m、幅1.1m、高さ1mという大きさ。内部に木棺が安置されていた形跡があることから、正確には石棺式石室、もしくは石槨(せっかく)とも呼びます。

墓地の奥にあるのがお染めと久松の墓。この二人は江戸時代に心中した人物。そのストーリーは、浄瑠璃や歌舞伎の演目『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』のモデルとなり、人気を博しました。

亀石そっくりな塔跡

こちらは金堂跡。かつては広大な敷地に大規模な塔堂が立ち並んでいたとされる野中寺。南北朝時代に焼失してしまった創建時の堂塔の跡は、今でも残されています。

金堂と向かい合うように残っているのは塔跡。礎石が並んでおり、建築の規模を感じることができます。

中央の大きな石には溝が空けられています。ミッキー、もしくはティガーのような姿は、心柱が建てられた穴。耳に見える部分は、心柱を支える添え木のための溝であるそう。

さらに写真の左手前、よく見ると目と口があり顔のような模様が見えます。このちょっぴり眠たそうな表情は、奈良県明日香村の亀石と似ています。あちらは湖にまつわる争いの伝説が残されていましたが、それと関連があるのでしょうか。

塔が建っていたら礎石に刻まれたこの顔は誰の目にもふれないはず。なぜこんなところに亀が描かれたか。建築を支える縁起かつぎ的なものなのか、信仰の上で何か深い意味があるのか、謎は積もって行きます。

18日限定の宝物拝観

大師堂の奥には宝物拝観所があります。境内は見学自由ですが、ここだけ別途300円が必要。そして、毎月18日限定の月イチ公開となっています。

立ち並ぶのは比丘寮・沙弥寮・方丈・食堂といった僧坊。律宗本山野中寺道場だったころの遺構です。

さきほどの地蔵堂の中に入ることもできます。平安時代後期作とされるヒノキの一木造りの木造地蔵菩薩立像は、静かに佇んでいました。

そして、目玉となるのが金銅弥勒菩薩半跏像。天智5年(666年)の作と伝わる像高18.5cmの小さな像で、片脚を組みあげた「半跏」の姿勢をとっています。広隆寺の半跏思惟像に比べると、頭が大きくデフォルメされた姿。そして微笑もありません。台座に掛かる布のドレープはやっぱり美しかったです。(※写真撮影NG)

ということで、この野中寺へ訪問するならば毎月18日がおすすめ!近くの葛井寺(ふじいでら)の千手観音公開も毎月18日と被っているので、あわせて訪問するとかなり充実した旅になることでしょう。

アクセスと拝観情報

最寄り駅は近鉄南大阪線の「藤井寺駅」ですが、2kmほど離れているのでバスで向かうのが一般的。私は藤井寺駅にてシェアサイクル「ハローサイクリング」を利用しました!自転車ならば駅から7分ほどでした。

参拝時間 9:30~16:00
拝観日 毎月18日
料金 300円
公式サイト https://sites.google.com/view/yachu-ji-temple

※掲載の情報は2025年10月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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