四国を統一した英雄・長宗我部元親と縁が深い神社。出蜻蛉式という、戦勝を祈願した神社ならではの建築様式で建てられています。力強く立つ元親像は必見です。
若宮八幡宮へのアクセス
若宮八幡宮は、高知県高知市にある神社。
バスで向かう場合は、高知駅から桂浜行きに乗り約30分のバス停《南海中学校通》で下車、そこから徒歩10分ほど。
車の場合は高知駅から約20分ほど。桂浜までは10分程度なので、合わせて訪問するのが良さそうです。駐車場は大鳥居の前にありますが、鎮守の森公園の駐車場に停めて、長曾我部元親像や儀式田を見ながら向かうのもおすすめです。
高知市南部の総鎮守
若宮八幡宮は高知市南部の総鎮守とされている由緒ある神社。1185年に、京都の石清水八幡宮を勧請したことにはじまります。
御祭神は八幡神こと応神天皇・その母である神功皇后・宗像三女神で、開運勝利や海上安全などのご利益があるそうです。
夕暮れのため人はおらず、とても静謐な空気。身が引き締まるような気持ちです。
出トンボ式の社殿
若宮八幡宮の本殿は出蜻蛉(でとんぼ)式建築という独自のスタイルで造られています。
どの辺りがトンボかと言いますと、上から見ると、羽を広げたトンボのような十字形になっているのです。上から見ることはできませんが、境内図やGoogle Mapの衛星写真を見ると、拝殿を羽に境内の外へ飛び立つようなトンボの姿をしている様子がわかります。
若宮八幡宮は長宗我部元親が初陣の際に祈願したことでも有名。その戦いで、見事宿敵である本山氏の長浜城を攻め落とすことに成功。それ以来、元親はここを戦へ向かう際の戦勝祈願する神社と定め、社殿もそれに見合った出蜻蛉式に改めました。トンボは前にしか進まないため「不退転」を現しており、勝ち虫と呼ばれ縁起の良いものとされている虫なのです。
なお、土佐国一宮である土佐神社は入蜻蛉(いりとんぼ)式となっており、対をなしています。これはせっかくなので両社めぐりしてみたいと思います!
鳥居が無かった理由
凛としたコンクリート製の鳥居。額縁がキリッとしています。神社といえば鳥居があるのは当然ですが、実は若宮八幡宮は長い間鳥居がありませんでした。その理由は、戦国時代にまで遡ります。
かつて、長宗我部元親が九州征伐に向かう際にいつも通り若宮八幡宮にて戦勝を祈願しました。その際、鳥居に軍旗がひっかかり落ちてしまいます。周囲の者は不吉ととらえましたが、元親はこれを「敵を笠にかけて討つ吉兆」としました。
しかし、戦の結果は惨敗。多くの兵に加えて、嫡子である信親を失うこととなります。この一件で元親はこの鳥居を不祥とし、海に流してしまいました。
それ以来鳥居の無い姿でしたが、慶応元年の地震で鳥居の柱を乗せる根石が自然と浮き出します。これを神の導きととり、現在の鳥居が造られました。
願いが叶う輪投げ
境内を歩いていると、一本の棒が立っているのを見つけました。
よく見るとこれは槍で、根本にはいくつもの輪っかが架かっています。
こちらは「槍通す輪」。長宗我部元親像の持つ槍の2/3の長さで、願い事を唱えながら槍に輪を通すとご利益があるそう。社務所に伝えれば輪をいただけるそうですが、本日の受付は終了していました。体験したい場合は、社務所の開いている9:00~17:00に訪問すれば良さそうです。
カッコ良すぎる長宗我部元親の像
神社へ向かう参道が延びる鎮守の森公園には、元親没後400年となる1999年に、地元の有志によって建てられた長宗我部元親像があります。
約7m、槍の長さは5.7mと大型の像。足元には、初陣当時の四国の勢力図が描かれています。
まるで四国をその手で掌握するかのように立つ元親。ちょっとこの像カッコ良すぎませんか・・・?
この銅像の作者は、高知県出身の銅像作家・濱田浩造さん。土佐清水の「ジョン万次郎少年像」や梼原の群像「維新の門」など、高知県内各地に様々な銅像を残しています。彼の作品は、どれも躍動感ががあり、わかりやすいカッコ良さ。高知を旅行される方は、観光地めぐりと合わせて「濱田浩造・銅像巡り」をしてみてはいかがでしょうか。
桂浜の龍王宮
少し離れたところにある桂浜。浜辺から海に向かって立つと、右側の岩場の上にお社が建っているのが目に入ります。
こちらは龍王宮こと海津見(わたつみ)神社。海辺に建つ社はとてもフォトジェニック。隣にある展望台からは太平洋を一望でき、とても眺めが良い神社です。
宮司さんはおらず、若宮八幡宮の神職の方が管理されています。御朱印を希望の方は、若宮八幡宮でいただけるそう。若宮八幡宮の境外社なのかなと思ったのですが、そのような記載は見当たらず。
高知4日間の旅、3日目はこれにて終了。カツオゲストハウスに戻ります。
夕飯は、宿でお奨めされた「じゃんめん」を食べました!