桜木町駅のすぐ近くに優雅な姿を見せる帆船・日本丸。館内は誰でも見学可能なミュージアムシップとなっており、船員たちの生活の場やレトロなしつらえ、ユニークな飾り毛布などを見ることができます。この日本丸、いったいどのような船であったのか、そしてなぜ横浜にあるのでしょうか・・・?
ビル街にたたずむ白亜の帆船
みなみらいのビル街の中に鎮座する真っ白な船。こちらは航海練習船・日本丸(にっぽんまる)。係留している展示ドックと合わせて重要文化財に指定されています。
全長は97m。4本のマストを備えたバーク型帆船で、メインマストは高さ46mにも及びます。船体に張り巡らされたロープの数は、なんと1,000本以上!
「太平洋の白鳥」「海の貴婦人」とも呼ばれるその姿はあまりにも美しく、横浜のシンボルのひとつとして親しまれています。周辺は日本丸メモリアルパークとして整備されており、憩いの場としての雰囲気も。
さらに、夜間はライトアップされ、その美しさがさらに際立ちます。すぐ近くの横浜ランドマークタワーや、大観覧車コスモクロック21とともに、みなとみらいの華やかな夜景を作り上げます。
日本丸のヒストリー
この日本丸、現在は隠居生活を送っているようですが、現役時代はどのような活躍をしていたのでしょうか。
日本丸の竣工は1930年。全国の商船学校の共同練習船として、国によって造られます。多くの実習生を乗せて、アメリカ西海岸・ハワイ・サイパンなど、太平洋を何度も往復してきました。
太平洋戦争が激化すると帆を外され、大阪湾や瀬戸内海にて石炭を運ぶ輸送船へ。終戦後はGHQによって「N054」という名で管理されていました。
1952年になると、帆装が再設置され帆船として復活。翌年、サイパンや硫黄島などをめぐり、戦没者の遺骨改修・慰霊碑建立の目的を果たします。通常の訓練も再開され、アメリカ東海岸やオーストラリアをはじめとした世界中の港へと航海。日本丸と実習生たちは、親善大使の役割も担っていたそうです。
1984年の退役までの航海距離は、延べ183万km。乗船した実習生は11,500名にものぼります。
気軽に船内見学が可能
みなとみらいのシンボルの一つとして親しまれている帆船ですが、チケットを買えば誰でも気軽に船内を見学することができます。目の前にある横浜みなと博物館と共通券もあるので、合わせての訪問がおすすめです。
タラップから乗船し、順路にそって進むと舵のある操舵室へと導かれます。国際信号旗や海図、レーダーやコンパスなど難しそうなものがたくさん。
船の先端に突き出した部分をバウスプリットと呼びます。遠洋航海の出港の際には、この先端に立って儀礼が行われていたそうです。
ぶら下がった白いものは、ロープをほぐしたもの。いったい何に使うのかと思ったのですが、甲板の水切りや雑巾替わりに使われていたそうです。
船内の生活の場へ
順路は船の内部へと続きます。インテリアはレトロな雰囲気でとっても素敵。冷房も備えているため、暑い季節でも大丈夫です。
実習生室は8台のベッドが並ぶ共同部屋。ベッドは長さ185cm・幅65mと狭い空間ですが、常に共同作業を行う実習生にとっては貴重なプライベートスペース。
調理室には、当時の献立を再現した食品サンプルが置かれていました。サラダやスパゲッティ、ハンバーグと、まるでお子様ランチみたいなラインナップですが、栄養バランスはとっても良さそうです。
長い航海を行う船であったため、船内には医務室も設置されています。航海中に盲腸の手術を行ったこともあるそう。
士官が食事や会議をする部屋・士官サロンの天井には美しいステンドグラスが。日本丸を中心に、北斗七星や南十字星が描かれています。
ユニークな飾り毛布
各部屋をめぐっている中で目につくのは不思議なカタチに置かれた毛布。こちら、「飾り毛布」といい、備え付けの毛布を使って様々なものを作り出すアート。こちらの作品名は「花」です。
2つ並んだ作品は「雛飾り」。お内裏様とお雛様が上手く表現されていますね。
船長私室に置かれた作品は「松竹梅」。さすが船長、格式の高さがうかがえます。
この飾り毛布は、日本の客船がお客をもてなすためにはじめたサービスといわれています。折り紙文化のある日本ならではのもてなしとして、非常に人気があったそうです。一時は全国の各船で見ることができたようですが、太平洋戦争の激化、さらに新幹線や航空機など他の交通手段の発達とともに衰退してしまいます。
こちら、いったい何をあらわしているかわかりますか?
ヒントは生き物です。
正解は「マンタ」。他にも「ニワトリ」や「コブラ」など、かなりユニークなものも。花や装飾デザインだけでなく、こんな遊び心を感じるラインナップもあるのですね。
この飾り毛布のサービス、現在でもいくつかのフェリーでは提供されているようです・・・!ぜひ見てみたいものですが、基本的には特等室や一等室限定。私のように、基本的に2等の雑魚寝利用者にとっては、なかなか出会うのは難しそうです。
引退から保存へ
なんとなく当然のように横浜にあるイメージの日本丸ですが、実はこの場所で保存されることが決まるまでに様々なドラマがあったようです。
練習船として活躍した日本丸も老朽化のため退役がささやかれはじめます。
引退が正式に決まると、東京、横浜、神戸、小樽など10都市がぜひ街のシンボルにしたいと名乗りをあげます。各都市による誘致合戦が行われる中、横浜では行政や商工会議所によって作られた「帆船日本丸誘致保存促進会」が署名活動を開始。83万231人もの署名を集めました。(※みなと博物館に署名の一部が展示されています)
そして、水を張ったドックに係留保存するという「生きた船」のまままでの保存が提案されます。もし建造物として保存するとなると、建築基準法・消防法の規制により船内の改造が必要。日本丸をそのままの美しい姿で保存するために、あえて整備に手間のかかるこの方法が選択されました。
これらの多くの署名と優れた保存計画が決め手となり、誘致に成功。1985年からこの横浜にて保存が開始されることになりました。
今でも定期検査が行われており、航海が可能な状態とのこと。しかし、ドックの先には橋があるため、海原へ出ることは難しそうです。橋はクレーンで取り外しが可能な構造というウワサですが、そのための費用はかなりの額……。いつか海を走る姿を見てみたいものですが、その壁はかなり高いようです。
現在も市民ボランティアの協力のもと、年に12回ほど全ての帆を広げる「総帆展帆(そうはんてんぱん)」を実施しています。気になる方は、スケジュールを確認してからの訪問がおすすめです。
アクセスと営業情報
JR根岸線・市営地下鉄ブルーラインの桜木町駅から徒歩5分、みなとみらい線のみなとみらい駅または馬車道駅から徒歩5分。
開館時間 | 10:00~17:00 |
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休館日 | 月曜 |
料金 | 400円 ※横浜みなと博物館との共通券は800円 |
公式サイト | https://www.nippon-maru.or.jp/nipponmaru/ |
※掲載の情報は2022年6月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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