たどりついた渡鹿野島、さっそく島内を歩いてみることに!パールビーチ、渡鹿野園地、仏岩、八重垣神社をめぐりながら、気になったのはオノコロというワード。もしかして、あのオノコロ島と関係があるのでしょうか。

美しきパールビーチ
わずか3分という船旅を経てたどりついた渡鹿野島(わたかのじま)。とりあえず北部にある「渡鹿野園地」や「仏岩」を目指して歩いてみることに。
すぐに見えてくるのは波穏やかな砂浜、わたかのパールビーチ。夏季には海水浴場としてにぎわう、リゾート感あふれるビーチです。
かわいらしい建物は休憩所。この建物は、スペインをイメージしているそう。近くにあるテーマパーク・スペイン村に寄せたのでしょうかね。
積み上げられた消波ブロックには、鳥がたくさん!カモメ、シラサギ、ウミウなどが大量に集まっています。
広々とした渡鹿野園地
ビーチの先は細い道が続いています。何もないですが、海沿いなので心地よい気分。
港から15分くらいでたどりついたのが渡鹿野園地。白い文字がなかなか目立っております。ここからはちょっとだけ山の中を登って行きます。
登った先にあるのが開放的な広場。木製の展望台も備えた公園のようなスポットです。
目の前に広がるのは、穏やかな的矢湾。さきほど訪ねた四角い灯台・安乗埼灯台も見えます。
園地に置かれているのはオノコロの鐘。鳴らしてみると、カンカンと澄んだ音色が響き渡ります。「オノコロ」が何かは、後ほど。
悲しい伝説の仏岩
わたかの園地から降りて、道を奥まで進むと、見えてくるのは不思議な岩。この岩は仏岩と呼ばれています。
その昔、嵐が来ることを予測した女郎がいました。それが最愛の船乗りが江戸に向けて出航しようとする日であったため、その出航をとめようと、錨を抱いて海に身を投げてしまいます。そのため船は出航できず、船乗りは嵐に巻き込まれずに助かったという話が残されています。
よく見ると、仏岩の傍には石碑のようなものが見えます。もともと船を引き出すための杭でしたが、供養塔として建立されたそう。かつてはもっとたくさんの岩が立っていたが崩壊してしまったとのことです。
さて、そろそろ港方面へと戻ります!
八重垣神社
最後に向かったのは、港のそばにある神社、八重垣神社。行き方がわからずかなり遠回りしてしまったのですが、「フードショップちゃのみ」の裏にある道を進むと、すぐに参道があります。
本殿の御祭神は須佐之男命。社名は須佐之男命が婚礼の喜びをよんだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣造る その八重垣を」に由来しているそう。
本殿の傍に祀られている御神石。こちらは産土神という、土地の守護神を祀っています。
この神社の絵馬はハート型!ちらっと拝見させてもらったのですが、「運命の人へ早く会いたい」「みんなと仲良くなれますように」といったハートフルな内容から、「今年はおかまにねんちゃくされませんように」といった意味深なものまで、様々な願いが込められていました。
オノコロ島の候補地?
渡鹿野島は「オノコロハートアイランド ~日本最古の恋人島・わたかのじま~」として恋人の聖地にも指定されています。
ビーチのそばには、こんなハートのモニュメントも!恒例の南京錠はまだほとんど付けられてません。
ここで気になるのは「オノコロ」という記載。さきほどの渡鹿野園地で見かけた鐘も「オノコロの鐘」でしたが、どういう意味があるのでしょうか。
オノコロというのは、日本神話において、イザナギ・イザナミが日本列島をつくる際に最初に生み出したとされる島。二柱はこのオノコロ島に降り立ち、そこから淡路島、四国、本州などの島をつくりあげていったそう。
そんなオノコロ島ですが、どの島のことを指しているかはわかっておりません。淡路島の近くにある小島「沼島」や「絵島」など、その候補とされている島や土地は全国に数多く存在しています。
この渡鹿野島もオノコロ島の可能性があるのでしょうか。
ネットで拾った情報によると、古文書の「自凋島(おのころじま五社太神記録」の記録に由来しているようです。都で異変が相次ぎ、18代天皇・反正天皇が神に祈願したところ「オノコロ島の五社太神をおろそかにしているのでしっかり祈るように」とのお告げが。この「五社太神」は、渡鹿野神社(現在の八重垣神社)にて明治時代まで祀られていた神様。天皇は渡鹿野島に臣下を派遣し、改めて祀ったところ平穏な都に戻ったそう。
以前、沼島や淡路島のおのころ島神社の記事を書いた際に少し調べたのですが、この渡鹿野島はまったくのノーマークでした!もしここがオノコロ島なら、日本発祥と呼んでも差し支えないレベルのスゴイ歴史の島になりますね。
さて、そろそろ帰ろうかなと港に戻ると、ちょうど船がやってきました!ささっと乗り込むと、船はすぐに出航。あっという間に対岸に帰ってきました。随時運行の渡船、本当に便利です!
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