大坂への備えが詰まった要塞『伊賀上野城』(伊賀市)

三重県

三重県伊賀市にそびえ立つ美しい城郭。この地は徳川家康にとって重要なポイントであったため、防衛拠点としての仕掛けが多数残されています。模擬でありながらもクオリティの高い天守も見ごたえ抜群です!

訪問日:2023/4/29(土) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

伊賀上野城のヒストリー

伊賀上野城は、豊臣秀吉によって伊賀へ移された筒井定次が天正13年(1585年)に築いたお城。

江戸幕府によって筒井氏が改易になると、伊予宇和島城から「築城の名手」と謳われる藤堂高虎が入城。豊臣勢力の残る大坂城への備えとして、大幅な改修をはじめます。

江戸幕府による一国一城令では存続が認められるも、明治時代の廃城令を受けて廃城に。多くの建築が撤去されました。

現在、城跡は整備され、上野公園となっています。敷地内には伊賀上野城をはじめ、「芭蕉翁記念館」や「伊賀流忍者博物館」が並ぶ人気観光スポット。

土曜日の訪問であったため、公園内は多くの人で大にぎわい。公園入口にある「だんじり会館」にて忍者衣装のレンタルを行なっており、忍び装束の子どもがたくさんいました。

重厚なる複合式天守

そびえ立つのは三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守。

もともとは築城主である筒井定次により天守閣が築かれていましたが、後に倒壊。その後、藤堂高虎によって天守閣が再建されるも、慶長17年(1612年)の台風により倒壊。大坂の陣で徳川方が勝利したため天守の必要性が薄れており、それ以降は再建はされませんでした。

現存の天守は、昭和10年(1935年)10月18日に竣工。当地選出の代議士、川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて建てたもの。「攻防策戦の城は滅ぶ時あるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」との思いから、「伊賀文化産業城」と名付けられたそうです。

雰囲気抜群な木造建築

というわけで、再建天守である伊賀上野城。古い資料などを元に再現されたわけではない、いわゆる「模擬天守」と呼ばれるタイプのお城です。

このように書くとそれほど本格的なお城では無いような印象を持たれる方もいるかもしれません。しかし、いざ天守内へ入ると、そこに広がるのは中世の香りを感じる空間。川崎克の強い希望により、コンクリートではなく木材によって仕上げられています。

むき出しの木材やハシゴのような急階段、「現存天守」といわれたら信じてしまうほどのクオリティ。

なお、天守内をよくみると忍者が隠れてます。先ほどの写真にも写っているのですが、気づいた方はかなりの洞察力です。

個性的過ぎる兜

城内では天守内部具足や書物、鯱など様々な展示物が並んでいます。特にインパクトあるのがこちら、藤堂高虎の兜として伝わる黒漆塗の唐冠形兜(とうかんなりかぶと)

「纓(えい)」という通常なら兜の後ろに付けられる装飾具が左右についているのですが、その長さがハンパじゃないです。実物とは別にレプリカも展示されていますが、ちょっと動いたら左右の人にすぐぶつかってしまいそうなスケール感。

まるでウサミミのようなデザイン。藤堂高虎は何を考えてこのよう兜を選んだのか気になりますが、実はこれは豊臣秀吉より拝領したものであるそう。これを授かった高虎はどんな気持ちだったのか考えてみるのも面白いです。

最上階の見どころ

階段を上った先、最上階となる3階は展望台となっています。自然豊かな上野公園やだんじり会館、上野市駅や周辺に広がる街並みを一望できます。

森の中にそびえる茶色のきのこみたいな建築は「俳聖殿」。伊賀生まれの俳人、松尾芭蕉の生誕300年を記念して、1942年に建てられたものです。上層の屋根が笠、その下が顔、下層の屋根が蓑といった芭蕉の旅姿がイメージされています。

外の景色にばかり目が行ってしまいますが、ここで見逃せないのが天井絵巻。書画が描かれた1m四方の色紙が貼りめぐらされています。

こちらは1935年の天守閣復興の祝に政治家や画家など著名人から寄せられたもの。近衛文麿、清浦奎吾、横山大観、堂本印象、徳富蘇峰など、各界の著名人の名前がずらり。天守復興はセンセーショナルの出来事であったのでしょうね。

このフロアには現在の天守を造り上げた川崎克の胸像も置かれていました。この像を手掛けたのは、朝倉文夫。早稲田大学の大隈重信像をはじめ、多くの作品を残す彫刻家です。

忍び井戸の目的とは

城内で見ることができるこちらの井戸、その名も「忍び井戸」と呼ばれています。

大坂城の攻略が不首尾に終わった際、上野城への籠城が考えられていました。その際の外部への連絡、また兵糧の搬入のために築かれたといわれています。さらに万が一落城した際も、忍びをここから城内へ放ち錯乱させるという作戦も考えられていたそう。

この井戸は機密事項であり、藩主といえども覗くことは許されなかったとのことです。

なお、受付から天守と逆にある「小天守閣」の上野ギャラリーという部屋にあります。見逃しやすいのでご注意ください。

高石垣は日本一?

さて、天守の見学が終わったところで、奥へ進むのをお忘れなく!天守の西へ進むと、そこは伊賀上野城最大の魅力とも呼べる高石垣が広がっています。

加工した石を積み上げた「打込接(うちこみはぎ)」の技法で築かれており、その高さは約30m。縁に立って周囲を見渡すと、圧倒的な開放感に包まれます。

この巨大な石垣があるのは、天守の西面、つまり大坂を向いています。これもやはり、大坂城の攻略が成功しなかった場合への備えと考えるのが自然です。

気になるのは、現地に記されている「日本一・二の高さで有名」との案内。日本一なのか、そうでないのか少々曖昧な表記です。

調べてみたところ、現在日本一の高さの石垣は大坂城本丸東面が1位であり、その高さは約32m。伊賀上野城は約30mなので、惜しくも日本一ではないようです。ただし、どちらの高さもお堀の水面下にある根石からの高さ。水面から出ている部分はいずれも約24mほどなので、ほぼ同じくらいの高さなのです。

大坂城に次いで日本で2番目、かと思いきや実はこの間に割って入る石垣があります。それは丸亀城三の丸坤櫓台石垣。2018年、台風による災害から復旧が行われた際、土に埋まっていた部分が見つかります。計測した結果、その高さは約31mと、伊賀上野城を凌ぐ高さであったそう。ということで、2023年5月時点では、大坂城、丸亀城、伊賀上野城という順番になりそうです。(※いずれも「単独石垣」としての高さです。)

アクセスと営業情報

伊賀鉄道の上野市駅から徒歩約8分。
車の場合は、名阪国道の中瀬ICおよび上野ICより10分ほど。駐車場は上野公園入口にある「だんじり会館」にて、普通車600円で利用できます。

開館時間 9:00~17:00
休館日 12月29日〜31日
料金 600円
公式サイト http://igaueno-castle.jp/

※掲載の情報は2023年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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