鳥取城跡 Part 1 謎の球面石垣・天球丸が圧巻の『山下ノ丸』へ(鳥取市)

鳥取県

鳥取城は建造物などは残されておらず復元もされていない城跡。そのため基本的には石垣を楽しむタイプ。このように書くとマニアックな印象を持たれるかもしれませんが、球面の石垣「天球丸」をはじめ、かなり見ごたえがあります。

訪問日:2022/4/30(土)

鳥取城跡は2つのエリア

鳥取城は戦国時代に築かれた城郭。明治時代に施行された廃城令はくぐり抜けたものの、のちに鳥取県が島根県に編入されると松江城だけで良いということになり、解体へ。現在は天守台、石垣が残されています。

鳥取城跡は久松山(きゅうしょうざん)という山に築かれた山城。その範囲は広く、山麓にある「山下ノ丸(さんげのまる)」と山の上の「山上ノ丸(さんじょうのまる)」と大きく2つのエリアに分かれています。それぞれの見どころはざっくりこんな感じ。

■山下ノ丸:二ノ丸、三ノ丸、天球丸の石垣群
■山上ノ丸:天守台から見渡す絶景

なぜ2つに分かれているかといいますと、戦国時代に築かれた山城跡の部分が山上ノ丸、そして江戸時代に整備された平山城が山下ノ丸となっておいるのです。中世~近世にかけての城郭の変化を見ることができるため、1粒で2度美味しい城跡なのです。

山下ノ丸は駐車場からすぐ近くであり、多少の石段はありますが気軽に見学できます。一方、山上ノ丸は少々険しい山道を登っていくため二ノ丸からの往復で時間は60分以上。鳥取城跡らしさは山下ノ丸だけでも充分に堪能できます。ということで、まずは山下ノ丸をめぐってみることにしました。

三ノ丸跡

最初博物館の隣の道から西坂下御門から入城しようと考えていたのですが、ガイドのおじいさんが「鳥取城見るならこっちが最短ルートだよ」と仁風閣の脇道を通り、館の裏からからスタートするルートを教えてくれました。

最初に見えてくるのは太鼓御門石垣。家臣などが登城する際に籠や馬から降りる場所であったため、下乗場とも呼ばれていました。

見えてくるのは三ノ丸跡・・・。あれ、何かの施設になっているのでしょうか?実はこの鳥取城跡の三ノ丸跡は、県立鳥取西高等学校になっています。

お城の中で石垣に包まれた高校とは、なんてうらやましい。鳥取城跡には、地元の高校生の青春の1ページが刻まれてたりするのでしょうね。

天球丸跡

三ノ丸跡から少し登ると、カーブを描く石垣の中で一か所あきらかに特異な姿をしたポイントがあります。

こちらは天球丸と呼ばれる球面石垣。鳥取城跡で最も個性的な景観で、天守無き鳥取城においてシンボルと呼んでも過言ではありません。

事前に写真では見ていたのですが、やっぱり生で見るとその不思議な形状は驚かされます。そして、思っていたよりも大きい!!

なんとなく高さ1mくらいかなと考えていたのですが、ざっと5m以上はあります。

この不思議な石垣は、崩れそうな石垣を補強するために、1807年頃に作られたそう。現在のものは、復元されたものになります。角をもたない構造から「巻き石垣」と呼ばれており、このようなタイプの石垣が城に用いられた例は他になく、国内では唯一とのこと。

美しく仕上げられた球面石垣は、なんだか芸術作品のようです。補強の目的はもちろんですが、製作者のこだわりを感じずにはいられません。

二ノ丸跡

天球丸跡からさらに登ると、二ノ丸跡へ。それほど登った感覚はありませんが、目の前には鳥取の街並みが広がりなかなかの開放感!周辺はきれいに整備されており、丘の上の公園といった雰囲気で心が落ち着きます。

こちらは菱櫓跡。その名の通り菱形の土台が残っており、この上に建っていたとされる櫓もまた菱形であったと考えられています。

この石垣の土台は三階櫓跡。1693年に山上ノ丸の天守が落雷で焼失してからは、ここが天守の代わりになったそう。

二ノ丸跡は、藩主が住み、御殿があった場所。その後の三階櫓も天守として活用されたため鳥取城を象徴する場所でした。人々に親しまれていたため、修復の際も一番最初にとりかかったそうです。

秀吉の鳥取城攻め

鳥取城について語る上で外せないのが、羽柴秀吉による鳥取城の攻略作戦。籠城する敵の食料を失わせて城を落とす「兵糧攻め」が行われました。最後にさらっと紹介させていただきますね。

羽柴秀吉により第二次因幡攻めを受けた鳥取城主・吉川経家は、11月になれば雪が降り敵の攻め手を遮ることができると考え、籠城を選択します。

しかし、そのとき既に秀吉は先手を打っていました。前年に侵攻した際に城下町の米を高値で買い占め、さらに田畑も荒らしていたとも言われています。ただでさえ兵糧が少なくなっていた鳥取城に追い打ちをかけるべく、籠城戦が始まると周辺の農村を攻め、農民たちを城の中へと追い込みます。城内の人の数を増やして兵糧不足に追い打ちをかけるという、恐ろしい作戦です。

兵糧はあっという間に枯渇。城内は餓鬼のようにやせきった姿の者であふれ、飢えて命を落とすものが続出しました。さらには人肉を食べようとするものまで現れ、地獄絵図となっていったそうです。

最終的には城主の経家の自刃によって開城。およそ4ヶ月に及ぶ凄惨な戦いは幕を閉じます。

経家は一方的に攻められて負けてしまったため悪い印象がつきまといますが、実はかなり立派な武将であったようです。秀吉に攻められる直前に鳥取城に入場した経家は、自ら首桶を持参していたといわれており、覚悟を持っての戦いであったと考えれられています。また、秀吉は経家の奮戦を讃え、自害を免除しようと働きかけるも、経家はこれを拒否。「毛利と織田という重大な合戦の節目に切腹できることは末代までの名誉」と遺言を遺してこの世を去りました。

アクセスと営業情報

鳥取駅が最寄り駅ですが、2km以上離れているため徒歩だと30分近くかかります。駅からバスに乗れば、約7分のバス停《西町》から徒歩6分ほど。

車の場合は鳥取ICから約15分。駐車場は鳥取県立博物館に停めるとすぐ目の前です。

開城時間 見学自由
料金 無料
公式サイト https://www.torican.jp/spot/detail_1001.html

※掲載の情報は2022年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました