明治時代に造られた洋風建築・仁風閣(じんぷうかく)。「皇太子の行啓」という一大イベントに向けて造られた御座所であり、県内初の電灯の導入など、文明開化の象徴とも呼べる建築でした。この館を建てた池田仲博とは、いかなる人物だったのでしょうか?
白亜の洋館
鳥取城の扇御殿跡には真っ白な洋館が建てられています。
こちらは1907年竣工の・仁風閣。鳥取池田家の第14代当主である池田仲博侯爵が建てた洋風建築です。
館の裏手には宝隆院庭園が広がっております。鳥取城跡がのこる久松山(きゅうしょうざん)を借景にした池泉回遊式庭園。建物と同じく真っ白なテーブルが置かれており、自由に過ごすことができます。
この仁風閣の設計を担当したのは東京国立博物館 表慶館や奈良国立博物館などで知られる宮廷建築の第一人者・片山東熊。「仁風閣」と命名したのは大日本帝国海軍の軍人として知られる東郷平八郎。
こんなビッグネームが関わっているなんて、鳥取池田家とはいったいどのような家柄なのでしょうか。
仁風閣ヒストリー
もともとこの仁風閣は、池田家の別邸として計画されていました。
国内各地を行啓されていた嘉仁親王(大正天皇)の山陰行啓が決まると、御宿所としてお迎えするため、工事は急ピッチで進められます。起工から完成までわずか8ヶ月という短期間で完成させました。このとき同行していた東郷平八郎によって、前述の通り名前が付けられたそうです。
その後、鳥取市の所有となってからは迎賓館や公会堂へ、1949年からは鳥取県立科学博物館として利用されます。1972年に現在の鳥取県立博物館が完成すると、その翌年に国の重要文化財へ。現在は明治時代の技術や美意識が詰まった建築を見学できる観光スポットとなっています。
近年では、映画『るろうに剣心』(第1作)の撮影が行われたことでも知られています。この仁風閣は香川照之さん演じる武田観柳の屋敷として使用されたそうです。
上品な装飾の館内
最も豪華な装飾が施された御座所。「御座所」というのは、天皇の居室のこと。かつて御宿所であった際の名称が、その後も使用されていたそうです。
バラの花のようなシャンデリアが美しい。この仁風閣は、鳥取県ではじめて電灯がともったそう。文明開化をつげる明かりだったのでしょうね。
洋風な館内において唯一畳敷きの和洋折衷な部屋が御寝室。こちらも嘉仁親王の寝室として使用された部屋のようです。
2階のサンルームからは、さきほどの宝隆院庭園が見渡せます。あざやかな芝生では、写真を撮ったり休んだりしている人の姿も。
らせん階段
多くの見どころがある中でも、特に目を引くのは館内奥につくられたこちらの螺旋階段。
すらりと優雅にのびる木製の階段は、よく見ると支柱がありません。うねりを帯びて登る姿は、まるで宙を舞うような美しさ。
提灯の骨組みからヒントを得たというこのデザイン、要となっているのは「ささらげた」という脇板。硬いケヤキの板で造られており、支柱代わりに踏板をしっかりと支えています。
2階から見るとそこまで違和感無く見えます。八角形の壁に沿って組まれており、建物の外から見るとこの部分が八角尖塔として独立しているように見えます。
いざ歩くとなると少し不安な気もしますが、この階段は現在は立入禁止となっているため利用することはできません。
池田仲博とは
館内には、池田家に関する資料も多く展示されていました。この仁風閣を建てた池田仲博とはどういった人物であったのでしょうか。
彼の来歴を見てみると「1877年徳川慶喜の五男として生まれる」との記載が!
出自からして既に只者ではありません。
そんな彼は旧鳥取藩主である池田家へ婿養子へ。鳥取池田家を相続します。
1896年には、池田源とともに北海道十勝地方を開拓し、池田農場を開設。この農場は現在「ワインの町」として知られる池田町の名前の由来といわれています。
その後は陸軍士官学校を卒業、貴族院議員を務めます。
1948年、70歳にしてこの世を去りました。
アクセスと営業情報
鳥取駅が最寄り駅ですが、2km以上離れているため徒歩だと30分近くかかります。駅からバスに乗れば、約7分のバス停《西町》から徒歩6分ほど。
車の場合は鳥取ICから約15分。駐車場は鳥取県立博物館に停めるとすぐ目の前です。
鳥取城跡・鳥取県立博物館のすぐ近くなので、合わせての訪問がおすすめです!
開館時間 | 9:00~17:00 |
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休館日 | 月曜、祝日の翌日、年末年始 |
料金 | 150円 |
公式サイト | http://www.tbz.or.jp/jinpuukaku/ |
※掲載の情報は2022年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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